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テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:あの戦争を考える
先日、都立東大和南公園を訪れました。
私たちは初めての場所でした。緑豊かでちょっとした散策ができ、野球場やテニスコートなどのスポーツ施設もあるため、その日は日曜日、朝から多くの人たちが利用していました。ベンチに腰かけ縦笛を吹くひと、小さな花畑をいじるひと、広場の中央にあるトラックを走る集団、コンクリにチョークでいたずら書きをするこども。のんびりと、おそらくいつもの休日を過ごす地元民を少し羨ましく思いました。まあ、私もいつも同じ休日を繰り返しているんですけれどもね。 なぜわざわざこの公園へ行ったかと言うと地元の方、そして太平洋戦争の戦跡に詳しい方ならお分かりでしょうが「旧日立航空機立川工場変電所跡」を見たかったからです。車なら30分前後で着くこの場所を知らずにいました。昔、航空機エンジンを生産する工場があり一帯は労働者が住まう町であったこと。この地も1945年には3度の爆撃をうけ工場は壊滅状態になってしまった。工場に電気の供給をしていた変電所の壁には無数の傷跡。最初にグラマンの編隊がやってきて工場群に爆撃を加えた瞬間をこの建物は見ていて、自らも再三の爆撃、機銃掃射に耐え現在までずっとこの場所にあることが凄い。一度の建替えも改修もなされず93年まで実働していたと言うのだから驚きました。 そしてこの貴重な史跡と平和な公園との対比をとても恐ろしく感じました。広場の真上の、ぽっかりとのぞいた空にたった60数年前には当然のごとく戦闘機が飛来していたわけですから。体験し得ない戦時中の恐怖と悲劇を、現代人である我々がほんの一瞬でも思いをシンクロ出来る場所はどんどん少なくなっているでしょう。その中で戦争史跡の保存に努めている方々には本当に頭が下がります。勿論それ以前の遺跡や自然遺産なども然りですが、超高層の建物を新たに作るよりも古く貴重な物をそのまま後世まで残すことのほうが私には難しく思えるからです。 ひとつ残念だったのは変電所の周りには鍵がついた柵があり、柵内にある戦災者慰霊碑に正面から手を合わせることができなかったこと。空襲で100名以上の方々が犠牲になっており碑には1人ひとりのお名前が彫られていましたが花壇があり外からも容易には近づけませんでした。ここを訪れた人がいつでも慰霊できるよう、何とか取り計らっていただきたいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jul 11, 2007 09:16:25 AM
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