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Sep 13, 2007
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カテゴリ:あの戦争を考える

昨夜の「その時歴史が動いた」無事に観ることが出来ました。
結局30分遅れで始まりました。


昭和23年12月23日、極東軍事裁判A級戦犯として絞首刑により一生を終えた廣田弘毅。

満州国建国後、抗日運動が強まるなか軍備の拡充をもとめる軍部に対し、外交による解決を推し「協調外務大臣」とされた廣田ですが、総理大臣に就任後は歴史の大きなうねりにのまれ「自分個人ではどうすることもできない」と軍の政治介入を許してしまいます。
その後も日本は廣田の意向とは正反対の道を辿り、日中戦争そして太平洋戦争開戦へと突き進むことになります。


私は「あの戦争」を考えるとき、必ず「では誰が一番悪かったのか?」を問うことになり結局答えが出ないのです。
その時、その局面で「誰がこうしたああした」と責任を問われますが、廣田の様に逆らえない時代に生きたことは不幸であるとしか言えません。
この番組で半藤一利氏もコメントしていましたが「誰が責任を持つのか深く考えずにひた走ってしまった」が故の結果があるのです。

「自分に恥じない人間になりなさい」と孫に言い残し、死をもって信念に決着をつけた廣田。

世界の講和を願いつつ処刑や自決で死んでいった者がたくさんいました。
一方それが不本意だとしても、自国のため家族のために命を落とした数え切れない兵士や戦禍に巻き込まれた国民へ、そして世界へ向けてのケジメだったのでしょう。
歴史の見方では非難されようとも、その様な人々の死を無駄にすることは出来ません。
当然、他国の人命も沢山失われた訳ですが、日本人として過去の歴史で亡くなった同じ国の人を慰める行為がいけないことだとは思わないからです。
「戦争は起こらなかった」方が良いに決まっています。
でも私が生まれた時には既に日本史であり世界史だったわけです。
その歴史があったからこそ今の私があると思うとき、だったら二度と繰り返さないように過去に誓うのは当たり前で、その誓いが亡くなった人たちへの慰みとなります。

残念ながら完全な世界平和は実現していません。
戦争、紛争がなくならないうちに先に地球が滅びてしまう気がします。

個人が身動きできないような大きなうねりが再びやってきたとき、私はどうしたら良いのだろうか?

それはとても恐ろしいことだし、そうならないように道を誤ってはいけないと思います。















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最終更新日  Sep 13, 2007 11:51:20 AM
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