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Nov 12, 2007
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カテゴリ:あの戦争を考える

爽やかな秋晴れでお散歩日和。
今日は私の出身である相模原市を歩くことにしました。

最寄の豊田駅から中央線で9:12発。
八王子でJR横浜線に乗り換え9:19発。
古淵駅に到着したのは9:41でした。

久し振りの横浜線車内から見る風景は懐かしいものばかり。
学生の時は相模原から淵野辺まで乗車し、そこから学バスで通っていました。
古淵駅はアルバイトをしていた場所。
14年ぶりに古淵駅で下車して、バイトをしていた当時のルートでお店まで歩きました。


途中見つけたもの。


古淵駅前の通りを町田方面へ 八王子道というらしい。

八王子方面へ向かう人が通ったので八王子道。
そのままですね。
国道16号より一本手前(駅寄り)の道です。


そして国道沿いへ出て、
クリスマスとお年玉の時期だけ働いていた懐かしのバイト先。


懐かしい場所 今となっては店舗数も増えましたが・・

私がバイトをしていた当時はあまり無く、
その年のクリスマスシーズンには全店舗の中で売り上げ世界一を達成したということです(本当かな?)。


国道沿いを横浜方面へ歩きます。
左手に相模原南警察署が見えてきたら、歩道橋を渡って対岸へ。


国道16号 相模原南警察署前 歩道橋の上から(横浜方向)。

相変わらず交通量が多いですね。
警察署の前なので、この後ろ側には立派なオービスがありました。


歩道橋を渡るとすぐ「相模原慰霊塔参道」があります。
太平洋戦争の戦没者を祀る相模原市の施設。
この参道は約500mだそうです。

慰霊塔へ続く道 左右は車道です。

参道 木々に覆われた静かな道。

少し手前までは、普通に住宅が建っています。
前日まで雨が降っていたので、たっぷり水を含んだ腐葉土のにおいが左右から立ちこめます。
湿気が多いせいか、ひときわ涼しい場所でした。


慰霊塔前 塔が見えてきました。


祈平和 

 


太平洋諸島で亡くなった方々の数が記されています。
すぐ脇には「相模原慰霊塔の沿革」が記された碑がありました。
昭和18年、陸軍によって「忠霊塔」が建てられ、
終戦後の27年からは相模原町が管理し、塔の中には遺品や名簿が納められているそうです。
相模原は戦前から軍都計画が持ち上がったため、陸軍の施設が多くありました。
陸軍士官学校、演習場、通信学校などがあった南部地域、今でも「米軍相模総合補給廠」として相模原から矢部へ続く広大な土地も戦時中は造兵廠や研究所でした。
市が管理をする立派な慰霊塔があるのは当然かも知れません。


大きく立派な塔 慰霊の気持ちで手を合わせます。


敷地内には様々な慰霊碑が立ち並んでいます。

近衛師団第一電信部隊慰霊碑 近衛師団電信第一部隊慰霊碑



その中でひときわ新しい歌碑が目につきました。

新しい歌碑

さくら咲く頃は
 還れるかも知れぬ
むなしく過ぎし
 六十年の歳月


裏には「平成17年靖国神社献詠歌選 作 永田芳子」とありました。
そして今年の2月に相模原市の戦没者慰霊会によって
建てられた碑であるということも彫られていました。

心の奥まで直に響く、悲しい歌でした。



慰霊塔を後に









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最終更新日  Nov 12, 2007 08:26:23 PM
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