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カテゴリ:子ども
昨日、学校では休み時間に先生も交えて雪合戦をして「めっちゃ楽しかった」と、帰ってきた長女。帰ってくるなり、そりを持って友達と土手に行った。
私は、その後帰ってきた次女を連れて後から追いかけた。滑る場所は川の土手で、河川敷が広めだから大丈夫とは思うけど、万一勢い余って川に落ちたら大変だし、すぐ日が暮れて暗くなるのに子どもだけで放っておけない。
まだ冬は始まったところで、雪遊びはこれからもできるだろうけど、ふわふわの、誰も足を踏み入れてない新雪にバフッと倒れこんだり、斜面をゴロゴロ転げたりする機会は、そんなにない。だから、昨日は何をおいても雪遊びを優先したかった。
1時間ちょっと遊んだところで、次女がつま先が痛いから帰りたいと言いだした。もっと遊びたい長女と揉めたけど、結局、時間も時間なので(6時)お終いになった。
夏は水さえあれば、冬は雪さえあれば、遊びに困らない・・・小さいころと変わってないなあ
そうして幼い部分も保ちつつ、成長も色々感じられた2学期。先日、長女が言っていたこと。
我が家は集合住宅で、同じ建物には1件、聴覚障害の方がいらっしゃる。先日、長女が学校から帰ってきてエレベーターに乗った時、後から乗ってきたその人のために、長女は「開」のボタンを押していたそうだ。
その人が、長女にジェスチャーをし、それが手話で「ありがとう」を意味するのを知っていた(前に総合学習で習った)長女は、とっさに同じ「ありがとう」の手話で返したそうだ。
その人はにっこりして、指でOKのマークを作って、エレベーターを降りたそうだ。手話が通じてうれしかった長女は、「次は『こんにちわ』ってしてみる。」と言っていた。そして、「お母さんもこんにちわってしたらいいよ。」と、私に手話を教えてくれた。
長女に、どうして手話で返したの?と聞いてみると
「だって、(相手の言葉である)手話で返したほうが、通じて嬉しいやろなと思って。」
今まで、簡単な手話ができたらなと思いつつも何もしてこなかった私。聴覚障害のその人に出会っても、笑顔で会釈する程度だった。
だから、1回学校で習って(だいぶ前に)、それを忘れずに心のどこかに持っていて、生活の一場面で自然に使ってみた長女に感心した。同時に、情けないな・・・自分、とも。また、「手話で返したほうが・・・」という長女の言葉もいいなと思った。相手のことをちゃんと思ってる。気持ちに余裕がないとなかなかできないことだと思う。
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Last updated
2014年12月19日 10時09分44秒
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