カテゴリ:└ 私のこと
自分、このブログの中では「明るくドライ」の反対です。できれば、深く潜ってみたい
日常生活の中では、そうそう「明るくドライ」から外れることもできない。でも、そうじゃない自分も大切な自分 普段話せることは取り立ててブログに書こうと思わないので、やっぱり深く潜りたくなります。 というわけで、今日は「肝っ玉母さん」について。「肝っ玉母さん」というフレーズが、とても苦手です。スエッコ君の不登校時、あちこちで「母は、どーんとかまえて」とか「肝っ玉母さんを目指そう」とか「母は笑顔で」という言葉を目にしました。しんどかったー 結局、今に至るまで、肝っ玉母さんにはなれていません。すぐ揺れます。 それでも3人の息子たちは、なんとかかんとか、やっています。母が「肝っ玉母さん」であろうとなかろうと、大丈夫、なんとかなる。 思い返せば、私の母は常に「超肝っ玉母さん」でした(現在完了形)。いつも、全く揺るがない。体重の8割は「肝っ玉」じゃないかと思うほど! 私が幼稚園に入ってすぐの頃、クラスの懇談会で担任の先生が「この組に太陽を黒く塗っているお子さんがいますが、こういう子は気を付けた方がいい」と言ったらしく、それが正に私のことだったそうで💦 でも「超肝っ玉母さん」は全然揺るがなかったらしいです。 「学校出たばっかの若い先生が何言ってるんだ(笑)と思ったわ」「あんたに聞いたら、赤いクレヨンがなかったからって言ってたよ」「子どものことは、親が一番わかっているんだから」 私が大人になってから、母に聞いた一連の出来事。はぁ~、母らしいよねー。私は妹と二人姉妹です(3才違い)。私だったら、長子がそう言われたら、絶対揺れまくったはず💦親になって数年で、よくそんな肝っ玉母さんになれたなー、私の母 それに、妹が生まれたことは、私にとっては大きな出来事だったんだよ、お母さん。 母は「超肝っ玉母さん」だったし、「いつも笑顔」だったし、「常にどーんとかまえて」いた。けれど、私は辛かったんだよ。 今の年齢になって母が変わることは、まずないように思います。変わるかもしれないけれど、それは私の預かり知らぬこと。 私は私で、ヒョロヒョロ揺れながらやっていきますね。Good-bye~私の中の「肝っ玉母さん」。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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