カテゴリ:└ 弔う
葬儀の後は、区役所での手続き、年金事務所での手続き、銀行等の手続き、お香典返しや四十九日や仏壇のことetc.…私が実家にいられる間にやってしまおうと思ったので、かなり忙しい毎日でした。母とも、いろいろ話していたし。
自宅に帰って、昼間、一人+ワンコになると、やっぱりじわじわきますねー💦母は、私の何倍もでしょうね…。 「最愛の父」って感じではなかったのに。 スエッコ君が不登校だった時は、いろいろ言われるのを避けたくて、3年間も全く実家に行っていなかったし。 小さい頃、父の膝の上にはいつも妹がいて、私自身はあまり可愛がられている実感がなかったし。パワフルな母に隠れて、なんとなくつかみどころのない感じがしていたし。 去年の秋に入院して以来、父との距離が信じられない程、縮まりました。話したことは、そんなに多くなかったかもしれないけれど、たくさん手を握って、頭を撫で顔を撫でた。 「ワンコを飼うようになって、そうなったんかねー?」と母に言われたけれど、もしかしたら、そうかもしれませんね。無垢な目をしたワンコに話しかけ、撫でるのと、ほぼ一緒の感じ。 今までのちょっと遠かった感じが、全部ちゃらになった…。 妹とやり取りした携帯のメールを見返したら、亡くなる2週間前の急変時、先生が「今晩は持ちこたえるだろう」っておっしゃっていた。そういえば、その翌朝からナースステーションとドア1枚で直結している病室に移ったんだった。 考えてみれば、あれから2週間、命が続いたことがとってもすごいことなのかもしれません。どこかで、もしかしたら…と感じながらも、絶対に良くなると信じていた2週間。 母が「あの2週間は、お父さんがくれた、気持ちの準備期間だったね」と何度も言っていました。 急変当日の6月3日のブログにも書きましたが、その当時、父と母、食べる・食べないでバトル中だったんです💦母、父から電話があっても無視していたー 妹は妹で、2日にお見舞いに行くはずが、途中で体調が悪くなり行けなくなっていました。しかも、それを父に連絡する余裕がなく、父は一日楽しみに待っていたらしい…💦 私はといえば、3日の12時20分頃、父から着信があったのに出られず、13時以降は何回電話しても出なくなっていた…。 3日夜に呼吸が止まった時に逝ってしまっていたら、家族皆、本当に悔やんでも悔やみ切れなかったでしょう…。 できれば、もっと…という気持ちはなくならないけれど、最後の2週間は、父から私たち家族への最後の最高のプレゼントだったように思います。 母も妹も私も、それぞれに、父との忘れられない時間を過ごせました。 でも、やっぱり、じわじわきますねー💦悲しいとも、淋しいとも違う、なんだろう、この気持ち…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.06.29 19:25:03
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