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「対人関係療法」を専門とする精神科医、水島広子さんの著書。
なるほどー!と思うことが沢山ありました。 以下、一部を抜き書きさせていただきます。 なお本書では、「出来事としてのラッキー・アンラッキー」と「自分は運がいい・悪いという感覚」は別物と定義されています。 ******* 【「ポジティブ思考」のワナ】 アンラッキーなことに本当は打ちのめされているのに、「これは学びの糧。むしろありがたいと思おう」「自分は運がいいのだから、気にしない」と強がる必要はない。 そもそも「ポジティブ思考」は「ポジティブにとらえるべき」という究極の「べき」。 必要なのは、「べき」ではなく、「癒やし」。 「自分は運がいい」という感覚は、「癒やし」の上にしか成り立たない。 【「癒やし」の第一歩は、自分の傷を認めること】 「運のいい人」になるためには、「現実」は「現実」として認める必要がある。 「現実を受け入れる」ということは、「ネガティブな反応を起こす自分自身も受け入れる」ということ。 人間にとって、あらゆる変化がストレス。特に、その「変化」の内容がネガティブな意味合いのものだったら、それに強くショックを受け抵抗する気持ちが生じるのは自然な反応。 【「癒やし」の次のステップは、意識して自分を「被害者意識」から解放すること】 「被害者意識」の手放しを、くれぐれも「べき」で行わないように。 「どうしてこんなことに」「どうして自分だけ」と思いながら生きていく、というのは、常に有毒ガスを吸って生きているようなもの。 【「比較」から自分を癒やす魔法の言葉】 「今は、これでよい」は魔法のような「癒やし」の言葉。 【「まあ、何とかなるだろう」という感覚の重要性】 「まあ、何とかなるだろう」と思えることほど自分を肯定する感覚はない。 自分を支えてくれる人がいる、という安心感があると、「まあ、何とかなるだろう」という感覚に近づける。 【人からの助けに心を開くと好循環に入る】 「自分は運がいい」と思っていると、基本的に心が開くので、他人からの助けを得やすくなる。 その結果として、人から支えられている感覚を持ちやすくなり、「自分は運がいい」という感覚が強化される、という好循環に入る。 【自分なりの生活習慣を持つ】 アンラッキーを「運の悪さ」に変えないためには、できるだけそれを単なる「アンラッキー」にとどめること。 何が起こっても日常生活を送ることができるのだな、という感覚を得ることができれば、「運がいい」人生の始まり。 ******* 「自分は運がいい」という感覚と、人から支えられている感覚と、「まあ、何とかなるだろう」という感覚。 どれが先ということはなく、これらの相乗効果で「自己肯定感」が育っていくのかも…と思いました。 自分のここ数年を振り返って、とても腑に落ちました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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