カテゴリ:フリーランスライター
昨日(9月11日)は「公衆電話の日」だったそうだ。
私が携帯電話を持ったのは、都内から横浜に越した1995年。 帰宅への移動時間が長くなるこの際に、やっぱり持とう、と考えたのだ。 それまでは外から聞ける留守番電話で充分だったが、公衆電話が混んでいる時に不便は感じていた。 特に時間指定で電話取材が入っている時。 家にいたり、その仕事の編集部にいられる時は、そこから電話すれば済んだ。 でも仕事と仕事の合間の移動先だったりすると、公衆電話を使うしかない。 公衆電話は街中にあるので、例えば傍を通る車の音が入ったり、もちろん人の話し声も気になる。 そしてなにより、時間帯や場所によっては公衆電話自体が混んでいて、指定された時間にかけられるとは限らない。 しかも電話取材は短いものなら10分そこらで終わるが、長引く場合もある。 長引くのが判っている時は、ホテルの電話室を借りることも多かったが、そうではない時は 後ろで待っている人の苛立つ雰囲気も伝わって、申し訳なく、何度も頭を下げることになる。 苦労したなあ、とは思うものの、それでも何とかなったので、その都度、何とかできたのだろう。 ただ・・携帯電話が普及してから、私はかえって不便を感じてもいる。 いつでも電話がかかってくる。 もちろん出られない時は出ないが、申し訳なさは変らず、この不自由さには今でも慣れない。 そもそも電話は、こちらの都合を考えず、暴力的にかかってくる。 こちらがかける時も同じなので、いつも迷ってしまう。 今、電話してもいいのかなあ? だから、まずは携帯にメールをして尋ねる。「今、電話していい?」 そういえば、携帯電話が出始めた頃、友人が会社経営者の夫に電話したところ、 「なんだ?! どうしてここが分かった?」と夫に怒鳴られたそうだ。 その時、夫は秘書とどこぞの部屋にいたそうで、かなり慌てた様子だったらしい(;´・ω・)。 電話を受ける相手が、一般的に忙しい時間帯(朝の出勤・登校の時間や夕飯の支度等)なら、 最初から出られないかもと考えて、その上で(もしかしたら出られるかも)と電話をかけているだろう。 でも例えばトイレに行きたいとか、遅い昼食のパスタを茹でていて、あと2分で茹で上がる時とか、 そんなタイミングでかかってきた電話は、すごく気になって、結局出てしまうこともあるだろう。 で、出てしまって、トイレが気になりうわの空で聞いたり、パスタが長茹でになって、後悔するはめにもなる(;´・ω・) 公衆電話しかなかった時代、彼との連絡はだいたいが公衆電話からだった。 ドキドキしながらダイヤルを回し、またはプッシュし、そして出なかった時の悲しさ、淋しさ。 あの詩的な空間が、今、とても懐かしい。 マンションの前にあった公衆電話も昨年撤去され、今は・・駅構内がいちばん近いだろうか。 でも、使わずにすめば、それでいいのかも。 最後に使ったのは、東日本大震災の際の、連絡だったのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年09月14日 15時51分27秒
[フリーランスライター] カテゴリの最新記事
|