9.キミのことをもっと知りたい・・・
書き上げた詩を持って、プロデューサーと会う。今回の詩はいつもとかなり感じが違うけれど、自分としては気に入ったものができあがった。これはキミのおかげだね。悲しい旋律に明るい詩を乗せる。キミとの出会いや、それからの濃密な時間がなければ、思いつかなかったかもしれない。ここにもキミがいる。キミが私を見えないところで支配している・・・。心地よい束縛感。「ほう、おもしろい。幸せな時期を描写しながら裏にある悲しみを見え隠れさせる、って手法か。そろそろあいつにこういう面が見られてもいい頃だしな」プロデューサーの一発OKが出た。あとはアーチスト本人がよほどの抵抗を示さない限り、これで決定稿となるだろう。私は桜井拡のデスクあたりでしばらく彼を待ってみた。どこかでイベントさえなければ、そろそろ出社してきそうな時間。計算どおりだった。彼は汗を拭きながらドアを開け、バッグをデスクに下ろした。それと同時に私を見つけ、歩みよってくる。「瑠璃さん、あれ聴いてくれたんだって? メール見ましたよ。ね、売れ線でしょ。この秋、一押し」彼は親指を立てながら満面の笑顔を見せた。でもね、私はもうキミの歌は平静に評価できなくなっている。愛してしまったから、どんな曲ももう冷静には聴けないよね。「ねえ、桜井さん、この子は高校3年生でしたよね、資料によると。じゃあ大学は行かないの?」しらばっくれて聞いてみる。「いや、本人も親も進学を希望しているんですよ」親御さんも? ・・・そうなんだ。「え? じゃあ、両立させるんですか? どうやって?」実はこれを探りたかった。他にも聞きたいことはいっぱいある。こちらの気持ちを覚られないように用心しながら、できるだけたくさん聞きだそう。「もう秋ドラかCMのタイアップは確実なんでね。ただ最初は媒体を絞って出さないと、受験は難しいし。最初は受験に響かないように、ジャケ写も顔を出さないでいこうかと」「そうなんですか・・。で、あの子はどこで見つけたんですか? 何かのコンクール? 路上ライブ?」「いや、本当はコンクールに出させて優勝か準優勝を、って思っていたんですけどね、そんな時間もないんで・・・。実は、これは内密にしてほしいんですけど、彼、秋野啓祐の甥っ子なんですよ」桜井氏は有名な音楽プロデューサーの名前をあげた。そうか、そうなんだ。キミはサラブレッドなんだ。「まあ、そんなわけで、瑠璃さんも楽しみにしていてくださいよ。絶対、いきます(売れます)から」桜井氏はそう言うと、デスクに戻っていった。ごめんね。キミに直接聞けばいいことなんだけれど、キミと仕事の話はしたくないんだ。でも、知りたい。キミがどんな育ちをしているのか。どんな音楽環境に身を置いて、そして将来をどんなふうに考えているのか。もっともっと知りたいことはあったけれど、これ以上は無理そうだ。携帯を開いてみる。マナーモードにしてあったから判らなかったけれど、キミからのメールが届いていた。「数学、OK。オレけっこう得意なんだ。瑠璃は何してる?」2時間前のメール。すぐに返信がなくても催促はしないタイプなんだ。ちょっと淋しくなった。だから・・・わざと返信を遅らせることに決めた。キミは大学で何を学ぼうと思っているのだろうか? デビューと受験勉強が重なることを、キミや親御さんはどんなふうに理解し、承諾したのだろう。キミは音楽で食べていく気はどのくらいあるの? そもそもキミの家庭は音楽一家なの? 叔父さんの影響はどのくらいあるの?キミのことをもっと知りたい。私、もう走り出している。キミに向かって全速力。ねえ、キミの将来に私はいつまで関わっていられるの? ずっと一緒にいたい。でも、キミにはやらなくてはならないことがたくさんあるんだね。私の心はまた揺れている。逢えない時間、膨らむ不安。それはね、きっと私に、キミに告げなくてはならないけれど、話しそびれたことがあることが原因なんだ・・・。