56.雪降る日に
明け方から降り始めた雪が、街を覆い始めていた。この世に増殖する人々の醜い心を、すべて鎮めるかのような、純白な光をおびて。ベランダに出て、空を見上げる。空だけを見ていると、まるで違う場所にトリップしたかのよう。耳を澄ませると、降り注ぐ天使たちのおしゃべりが聞こえてくるようだ。このまま積もって。昨夜、キミは新曲のレコーディングを行なった。納得がいくまで重ねられた時間。終了したのはつい先ほどだったようだ。「瑠璃。瑠璃のところで寝かせて・・・」疲れきった声で電話があったから、私、今日締め切りの原稿を、猛スピードで仕上げたの。キミを待つ。 この雪だと、タクシーはつかまらないかな?渋谷駅からここまで歩いてくる間に、身体は冷えきってしまうよね。温かいスープも用意した。キミが好きなコーンスープ。まだ子供なんだから・・・。オートロックの玄関を合鍵で開け、キミは私の部屋のチャイムを鳴らした。コートに、帽子に、雪が積もっている。「瑠璃~~、寒いよ」キミは甘えた声で、コートを着たまま抱きついてきた。「あれ? 傘、持ってなかったの?」「ううん、折りたたみは持ってるけど、雪が降るのを見ながら歩きたかったから」嬉しかった。 同じ感覚。 キミもこんなふうに積もり行く雪が好きなんだね。バスタオルでキミの髪を乾かす。 少し埃っぽい都会の上空を、旅してきた雪たちの匂いがした。いつでも泊まれるようにと用意したパジャマとガウンに着替えて、キミは湯気の立つスープをすする。目がとろんとしてきたね。身体が温まって、眠りを誘われたキミ。 「もう限界・・・」 そう言って、ベッドルームに移り、そのまま倒れこんだ。このままキミの寝顔を見ていよう。大きな仕事を終えたばかりのキミは、いつもよりどこかたくましい。響司、キミはついさっきまで“KYOJI”でいたんだね。どこで切り替えてくれたの? 私の“響司”に。いとおしさが込み上げて、キミの傍にず~っといたいと願った。キミが目を覚ましたのは、4時過ぎだった。外はもう暗い。 雪は・・・やむことを知らないでいた。「わ! こんな時間? どうしよう。帰らないと・・・。瑠璃、ごめん。寝に来ただけみたいだ・・・」キミはあわててそう言った。なんだ、帰っちゃうんだ。 徹夜明けだもの。夜までには帰らないと、お母様も心配なさるよね。テレビをつけて、電車の運行状況を確認する。かなりの遅れは出ているものの、まだ都心部では運休となっている線はなかった。ほんとうは期待していたんだ。電車がストップしてくれたら、キミを帰さなくてすむもの。ストーブの傍に置いて乾かしておいたコートや帽子を、黙ってキミに差し出した。キミはそれを受け取った。 でもそのまま、しばらく私を見つめていた。「瑠璃・・・淋しそうな顔してる・・・」そっと抱き寄せて、額にキスをした。「泊まろうかな? かあちゃんには何とか言い訳するから」どんな言い訳? キミに負担がかかるよね。でも、一緒にいたい。 外界と遮断されたような大雪の日に、ひとりでいるのは淋しすぎるから。キミの腕の中で、ぬくもりを感じていたい。黙って目で訴えた。「ここにいて」キミはポケットから携帯を取り出すと、お母さまにだろう、電話をかけ始めた。「オレ。響司。ごめんね、徹夜になっちゃって、今、友達の家なんだ。タクシー、つかまらないし、風邪ひきたくないから、泊まっていくよ」都会の雪は、2日続けて降り積もることはない。明日の朝、きっと雪はやんでいて、一面銀世界なんだろうな。お母さまの了解が得られたようだった。キミは電話を切ると、今度は唇にキスをしてきた。外は雪。 きっとすごく寒いんだろうな。でも、キミの腕の中は・・・すごく温かいよ。このまま、時がとまればいい。そう願ったんだ。 私たち・・・。