地獄の底から湧いて出た
中国も、そうなんでしょうが、ヨーロッパでも東の方は、100年または200年の間に数回、そのうち、1000年に1回くらいは、地獄の底から湧いて出た、と言われるくらいの特別に残酷な異民族の侵攻をうけています。 で、都市も、異民族の侵攻に耐えることができるように、都市機能は城壁の中に置き、多少不便でも、周りの農地には、最小限度のものしか置かないようにしていたようです。 時代は移り、兵器が発達して、城壁が防御のために役に立たなくなるに従って、城壁も取り壊される、ということになるようなのですが、それでも、中世の街並みを残す観光地などには、そのようなものが、残っています。 この数百年間は、普通、都市人口が増えていたので、市街化地域も、城壁の外に広がっていくことになるのですが、それでも、上下水道を引いたりしなくてはいけないので、規制をかけて、市街地を一定の地域に制限していくというようなことになります。 しかし、昔の城壁が、そのまま、日本の都市計画法で言われる、いわゆる「線引き」になっているような線になっているところもあります。 ここで、「線引き」とは、都市計画法第7条に規定された、都市計画区域を市街化区域と市街化調整区域に分けることです。 市街化区域は市街化を進めようとする区域で、市街化調整区域は市街化を抑えようとする区域のことですから、うまくいけば、この線を境にして、ロマンチック街道のローテンブルクのように城壁を境にして、市街地の城壁の周りに田園地帯が広がる、というような美しい光景ができる。 で、日本は、異民族の侵攻は、というと、無い、と言うこともないのですが、まあ、大したことはありません。 ということで、日本人の一般的な気分としては、どこに住もうが、自由で、便利でありさえすれば、どこに何を建てようと割りと自由です。 さらに、土地規制がそうとういい加減で、法律上は不可能なようなことが、政治力さえあれば、なんでも出来る、というような状況です。 最近では、軍事基地になりそうな土地の周辺地を政治家が買ったり、以前には、優良農地を市街化区域に編入したり、というようなことは、政治力で、都市計画がなされていることを示している。 昨年、NHK教育で放送された、 ETV特集「なぜ希望は消えた?~あるコメ農家と霞が関の半世紀~」という番組で、次のようなことが紹介されていた。 確か、山形の土地改良区(土地改良法に基づく農地所有者などの組合で、土地改良事業を行うことを目的とするもの)が出てきていましたが、それまで、多額の税金を投入して土地改良事業を行なってきた農地を所有する農家の大半は、昭和43年の都市計画法改正の際に、転用利益を得ることのできる農地転用の容易な市街化区域への編入を望んで、実際、希望通り、優良農地が市街化区域に編入されていった。 しかし、日本の一部の地域では、異民族の侵攻とほとんど同じことが起きており、これからも、続くことでしょう。 貞観の大津波が匈奴で、今回の大津波がモンゴルのようなもので、地獄の底から湧いて出たような黒い水によって、まるで、モンゴル軍が通り過ぎたあとのような、被害を受けた。 三陸海岸各地には、「ここより下には家を建てるな」という石碑が、たくさん残っているそうですが、いつの間にか、それらは、見向きもされなくなっていました。 これらの地域は、日本の他の地域とは異なった、厳格な、都市計画がなされるべきであったのに、どうも、一般的な雰囲気に流されてしまったようです。 仙台市などで、津波被害を受けた地域は、本来、農地であるべき土地が市街化区域に組み込まれていたのではないか、という気がします。