ダブルの小部屋
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小犬のロン
ようこそ♪ 芸術と学問と宗教の調和を目指します。最先端科学とスピリチュアリズムなど、両極の対話を目指します。ダブルはダブるです。
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昨日は、9歳の息子だいちと一緒にシネマ・シティーへ出かけた。この夏は、アニメやCG作品や、実写でも子供でも楽しめる作品が目白押しだ。観たい作品を、それぞれベスト3ずつ投票して用意していたのだが、『ブレイブ・ストーリー』 が1位で、『ゲド戦記』 と 『NARUTO』 が同点2位、3位は 『カーズ』 と 『森のリトルギャング』 の順だった。 劇場が一杯詰まったシネマ・シティーの前まで来ると、昼食時だというのに長蛇の列だった。迷った末に、早めの予約切符の取れそうなもので、結局『ゲド戦記』を観ることになった。これは、わたしのいち押しだった。ラッキー。 街で2時間ほど時間を潰して、劇場に入ると満席だった。そして、ル=グウィン:原作、宮崎駿:原案、宮崎吾郎:監督の映画『ゲド戦記』を観た。9歳には少し早過ぎたかも知れないが、息子のだいちもそれなりに楽しめたようだった。「感想は?」「まあまあ面白かった」。しかし、挿入歌の『テルーの唄』のサビの部分が気に入ったらしく、帰りの道行きで口ずさんでいた。 心を何にたとえよう 鷹のようなこの心 心を何にたとえよう 空を舞うよな悲しさを 心を何にたとえよう 華のようなこの心 心を何にたとえよう 雨に打たれる切なさを 心を何にたとえよう 一人道行くこの心 心を何にたとえよう 一人ぼっちの寂しさを ⇒⇒『ゲド戦記』公式サイトで聴けます。 これは、ル=グウィンの世界を借りた、宮崎父子の物語でもある。冒頭、いきなり主人公の父親殺しから始まる。児童虐待の場面もあれば、人買いまである。世界は均衡を失い、一見繁栄しているかのように見えて、人々の心は荒れ果てている。まるで、現代社会を映しているかのように。これまでのジブリの作品と同じように、何らかの警鐘を鳴らしている。宮崎駿が深く影響を受け、何度も映画化を希望したのに果たせなかったこの仕事を、宮崎吾郎が手がけることになったと言うのも興味深い。 父親殺しの場面を、だいちがどう受け取ったかは解らないが、父子でこの映画を観ることになったのも興味深いことだった。 わたしはわたしで、また別の楽しみ方をした。この物語の登場人物たちは、みんな孤独である。というか、個の道を行くものたちだ。孤高の魔法使いたちなのである。わたしはずっと、カルロス・カスタネダが描く、ヤキ・インディアンの呪術師の生き方を連想しながら観ていた。『ゲド戦記』では、魔法使いが鷹もしくは龍に変身するが、カスタネダの世界でも呪術師を孤高な鳥になぞらえている。 パンフレットを見て少し納得した。ル=グウィンの父親はネイティブ・アメリカン研究で著名な文化人類学者なのである。母親もインディアンに詳しい作家。ル=グウィンは、そんな血を引く作家なのだ。ル=グウィンは、ファンタジーの世界に、「力を得た主人公が、その力ゆえに自分の影に追われ最後には自分自身と対決する」と言う新しい英雄像をもたらした。しかし、それと同じようなことが、カスタネダの著作では現実のこととして描かれているのである。 という訳で、カスタネダの大好きなわたしは、充分堪能した。 息子のだいちはしきりに『NARUTO』を観たかったと言っていたが、この作品にも満足したようだった。時が経ち、思春期を迎える頃にはまたこの作品を見直すことだろう。 わたしは、原作の『ゲド戦記』を全6巻持っているが、昔、2巻まで読み終えたまま。この映画『ゲド戦記』は、主に第3巻『さいはての島へ』を原作としている。これで時が来た感じがする。また読み直し、そろそろ第3巻から読み続ける頃かなと思う。楽しみである。 『ゲド戦記』全6冊 ゲド戦記(6冊)セット もちろん、分冊もあります。
☆ブックバトン☆ 2005/07/31 コメント(10)
本は暗いおもちゃ? 2005/05/21
共感覚再び 2005/05/21 コメント(2)
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