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カテゴリ:屋久島巡礼
今日は全国的に雨模様のようです。 東京もこれで、5日間、雨が断続的に降り続いていることになります。 わたしは、雨嫌いではありません。 台風一過の晴天には適いませんが、雨の日は結構好きです。 さて、旅のご報告が宿題でした。 夏休みの宿題・・・、あぁ、もう夏休みが終わってしまいます。 賞味期限が終わらない内に、手早く纏めてしまいたいと思います。 まぁ、何時でも、書いたものは事後報告になってしまうものですが。 ◇ ◇ ◇ 屋久島行きを決めたのは、6月の満月が待ち遠しいある土曜日の午後のことでした。 丁度その日の朝に、岩手・宮城内陸地震があって驚いた日です。 その日、わたしは仕事が休みで、午前中からネットをあれこれやっていました。 そんな時、ふと、旅の計画が持ち上がったのでした。 わたしが屋久島へ行くことは、以前から決めていたことなのですが、「何時・誰と・どうやって」という具体案は何も決まっていませんでした。 先ず、屋久島行きを「この夏」にしようと思い立ちました。 小6の息子だいちと妻も一緒に行けるかも知れないという目論みです。 まだ、誰にも打ち明けていない、旅の計画でした。 その頃、わたしは5月から始まった皮膚の痒みのため、日常生活で幾つかの実験をやっていましたが、その影響もあったのかも知れません。 その詳細は別便で挙げるつもりですが、それは楽しい試みでした。 例えば、部屋に1人居る時には裸で過ごしてみるとか、夕暮れになっても電気を点けず暗闇で過ごしてみるとかの試みです。 聴覚や皮膚感覚や、感性の扉が開いた感じがして、色んな発見がありました。 そんな中で、屋久島行き決行が浮上しました。 そもそも、わたしの旅の目的は、屋久島という場所を自分で体験する事。 そして、光のkimiさん(以下、kimiさん)に会う事、の2つでした。 kimiさんとは、この楽天日記の繋がりで、3年余りのお付き合いです。 とにかく1度は会いたい、と思ってる人でした。 kimiさんは屋久島の観光(?)ガイドをなさっています。 しかも、それも後4年くらいと聞いていました。 どこかでチャンスを作って行かなければ、会うこともないだろうと思っていたのです。 まぁ、そのような縁(えにし)を感じていた訳です。 以上、6月14日に発起して、その日からわたしの旅が始まりました。 旅の計画を微調整しながら煮詰めていく過程で、いろんなことが起こって行きました。 まるで屋久島旅行が、日々の生活を撓め直してくれているかのようでした。 それはなんとも不思議な、様々な呼応の連続でした。 折りしも、東京ではシュタイナー展の真っ最中で、シュタイナー関係の人たちと久しぶりに交流しました。 講演も熱心に聞き、たくさん勉強をしました。 その縁で、ネット繋がりのカイさんや、しぇる’さんや、優しい気持ちさん、ほぎさん、ともお会いしました。 人と会う機会の多い日々でした。 旅の決心が固まった6月24日に易を立ててみると、『地天泰』(天下泰平)が出ました。 この卦は、易で一番めでたい卦とされています。 変爻(今自分がいる場所)が第二爻(下から2番目)で、「遠くの賢者も忘れるな」とあります。 この卦は、いずれは『地火明夷』(韜晦(トウカイ)する時)に変わるのですが。 (つまり、今は、ひとり静かに行方を晦ます時なのですが・・・) その時は、無意識からのOKが出たという思いでした。 旅の概略が徐々に固まっていくのは、何だかワクワクして心地良いものです。 屋久島への旅を夢見ながら、日々の生活をいつもより幾分、活き活きと送っていました。 7月に入り、色んな講演会に出かけたり、観劇に出かけたりしました。 すでに、旅モードが日常に入り込んでいたようです。 「旅とは、攻撃的な自己衝動ではなかったか!?」とは、藤本儀一さんの言葉です。 20代の頃、『軽口現代考』というエッセイ本で出会い、衝撃を受けたものです。 そして、良くそんな旅をして来ました。 思い立っては旅をし、旅をしては思い立ちの連続でした。 結婚して子供を持った身では、なかなか自由気ままに振る舞うことにも限界があります。 しかし今でも、時にわたしは、ふらりと旅に出ます。 それを許してくれる妻子は有難いのですが、今回のテーマは「共に旅をする」ことです。 わたしの旅(ワガママ)に付き合ってもらう、ということ。 「かわいい子には旅をさせよ」と言いますが、今回のキャッチフレーズは「かわいい子とは一緒に旅をしよう」です。 7月の後半、そろそろ旅が間近に近づいて来た頃に、古くからの友人、heavymanさんのアートセラピーのセミナーがありました。 わたしはそのままの身体で駆けつけました。 『風景構成法』という心理学の芸術療法からのアプローチでしたが、参加者のシェアリングなかなか面白かった。 その時に描いた絵を下に掲げますが、これはもう全く屋久島の絵ですね。 最後に付け足した『虹』がシェアリングで「違和感がある」と言われたのでしたが、まぁ、その後日談は旅行記の中ででもお話することにします。 ~ 心象風景(希望) ~ 我が家では、旅行の直前に、畳を張り替えたり、部屋を片付けたり、倉庫を大きくしたり、金魚を飼い始めたり・・・。 「なぜに今?」と言うようなことが沢山あったのでしたが、それはきっと旅行の荷造りの副産物で、色々と溜まっていたものを片付けるという心理が働いたのかと思います。 わたしはわたしで、歯が抜けて医者へ通ったり、腰痛が悪化して整骨院へ通ったりしました。 まぁ、「旅は心の洗濯、身辺整理」と言うことでしょうか。 そんな中で、歌が浮かんできたりもしました。 作りかけの歌を紙に書きつけ、それも旅へ持ち込むことにしました。 あっという間に旅行が近づいてきました。 kimiさんと何度かメールをやり取りして、旅の骨子は、ほぼ決定。 息子とわたしはトドニを連れて逸早く岡山の実家へ行き、岡山から鹿児島へ飛ぶ。 (トドニは岡山でお留守番です) 妻は羽田から鹿児島空港へ飛び、そこで合流。 息子とわたしは、屋久島4泊5日。 妻は、仕事の都合で2泊3日で帰る。 さあ、いよいよ「旅の中」なのですが、今日はこのくらいで。 最後に、鹿児島から屋久島へ飛んだ飛行機の中から撮った画像を1つ挙げておきます。 ~ 飛行機の中から見た桜島 ~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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