「症状は癒しの証」(その2)
「症状は敵ではなく、癒しの証である」 この言葉は、R・シュタイナーの言葉ではなく、森章吾さん(シュタイナー教育実践)の言葉でした。 ここで、わたしの記憶間違いを訂正させていただきます。 清みません。 『ユリイカ 2000年7月号 特集:ルドルフ・シュタイナー』の中の、『真の<私>の響きを求めて』と言う論文の中に書かれています。 森章吾さんは、その中で、自らの生来の病気、蓄膿症(副鼻腔炎)に果敢に挑み、克服された経緯を詳細に述べています。 さらに一歩進めて、声帯の変容への冒険も足を延ばしています。 その格闘のドキュメントは、一読するに充分値します。 その実践の上で、基礎として踏まえられているのが、紹介した上記の言葉です。 これは、ゲーテからシュタイナーに流れる自然科学的認識方法に添った、ひとつの鍵になる考え方だと言います。 これは、現代の医学の世界でも常識的な考え方なのだそうです。 へえ、そうなのか、特に異端の考え方ではないのか。 そうして、この論文を読み進めて行きますと、次に、また刺激的な文章に出会います。 「病気の症状を参考にして、症状の本質的な部分を意識的に補えば、それは癒しとなる」 これも、森章吾さんがまとめた、方法論の記述です。 森さんの素晴らしいところは、その言葉を実践の中から導いたことです。 森さんは、「鼻詰まり」と「いびき」という2つの症状に意識的な働きかけをして、持病の治癒へと向かわれたのです。 詳細は、文献を読んでいただくのが最善かと思います。 さて、わたしは皮膚の痒みに襲われたのでした。 わたしの今ある症状は、皮膚の「痒み」です。 わたしは、森さんの実践に見習って、わたしの方法を見出していくしかありません。 少なくとも、上記、2つの文章をただ知識として得ただけでは何も事は始まらない訳です。 ここで、わたしの症状をまとめてみます。 今年の3月から4月にかけて、頭皮の上にリンパ液のカサブタが出来るようになりました。 その時は、痒みはなかったのですが、カサブタを取り除いた跡から少し出血があり、血のカサブタも出来てしまう様になりました。 これは!? と言うので、家人に勧められて病院を受診する事にしたのです。 5月初めに診断されたのが『脂漏性皮膚炎』というカビ(細菌)による病気でした。 そこで処方されたローション状の薬には、ステロイド(副腎皮質ホルモン)が含まれていたようです。 そのローションを入浴後に塗布するのを2~3日続けると、リンパのカサブタはあっという間に消えてなくなりました。 医者の診断は、どうやら中っていたようです。 しかし、5月の中旬辺りから、今度は頭や全身が痒くなり、湿疹が出るようになったのです。 これの方が堪りませんでした。 手首や肘の内側、足首や膝の内側、背中や首筋や頭皮など、痒みはあちこちに伝染しました。 仕方なく5月の半ばに、もう一度同じ医者に診てもらうことにしたのです。 そこでのやり取りは、前回、触れました。 わたしの湿疹は、特に食事をした後1~2時間で現れます。 医者が言うには、食事をすると代謝が盛んになり体温が上がり、若干の汗をかく。 汗は塩水だから、それが皮膚に浸透して痒くなる、と言うことでした。 なるほど、と頷くわたし。 わたしの首から下の皮膚は、少し油脂分が足りなくて、汗を流し落とせないと言うのです。 またまた頷くわたし。 そしてまた、ステロイドの(今度は)軟膏が処方されました。 肌のことなら何にでも効く魔法の薬、いわゆる市販の『フルコート』です。 ちなみに、ハイローズに『フルコート』という楽曲がありますね。 甲本ヒロトくんが、狂うように唄っていますね♪ さてしかし、薬に頼ってばかりもいられません。 わたしは、慎重にその薬を使っていました。 そして、ある日、シュタイナー研究の佐藤公俊さんに相談したら、「ステロイドは免疫機能を低下させるよ」と言われました。 別の精神科医に訊いても、「癖にならないくらいにしたほうが良い。それから、石鹸で身体を洗い過ぎると良くないよ」と言われました。 ふーん、結構大変だなぁ、と思いました。 そこから、わたしの冒険は始まります。 今もって、実践中なので、具体的な内容は次回に譲ります。 ここでは、病気やその治療に関する、わたしの基本的な考え方を紹介します。 それは、ある本からの示唆なのですが、次のような視点です。「患者の健康を回復させることが上手な人は医者であろうと治療師だろうと、体のもつ、体自体に対する、またその周囲の世界とのかかわりに対する感覚を変えることの出来る人だとフロリンダは確信していた。つまり、病は、肉体と精神とにかかわらず、それまでの習慣を打ち破るために必要な新しい可能性を提供されることで癒されるというのだ。それによって別の次元の意識が活動を開始し、体がもつ新たな意味が明確になり、それまでの病気と健康に対する考え方が変わってくるというのだ。」 (『魔女と夢』日本教文社,1987.著:フロリンダ・ドナー/訳:近藤純夫) この本は、カルロス・カスタネダの流れを汲む女性人類学者が書いています。 メキシコ・インディアンに伝わる、呪術師の伝統に基づいた、一風変わった世界のお話です。 しかし、現代西欧社会(日本も含めて)に慣れきった我々に足りない視点を的確に示しています。 わたしは、やはりこの観点から、わたし自身の日常生活の冒険を進めなければならないと思ったのです。 つまり、それまでの自らの生活習慣を見直し、打ち破る試みをしなければ、本当の意味で、病気の治癒はありえないと思ったのでした。 「感覚を変える」、「別の部分の意識が活動を開始し」、「体のもつ新たな意味が明確になり」、「健康と病気に対する考え方が変わってくる」!? それは、わたしにとってとても刺激的であり、ワクワクするような冒険に思えました。 20代からカスタネダを繰り返し読み、その導師である『ドンファン』に憧れ続けてきたわたしにとっては、千に一つのチャンスのようにも思えたのです。 なお、R・シュタイナーは、既に、『健康と病気』について数々の示唆ある文章を残しています。 しかし、頭で知っていてもどうにかなるものではありません。 実際に自分の体を使った実践をやらなければ分からないことは沢山あります。 身体で体得しなければ、どんな知識も無効です。 そして、その突破口が、病気という負の体験にあったとしても、なんら不思議なことではありません。 病を得るということは、不運ではなく、幸運であるとも言えるのではないでしょうか。 (つづく) 下記の写真は、6月15日(日)に、ギャラリー冊で行われた「シュタイナーの夕べ(その二)」シンポジウムの会場風景です。 この夕べも、R・シュタイナーが熱く語られ、芸術療法のプチ体験もありました。 ⇒ 森章吾さんのHP ⇒ 佐藤公俊さんのHP