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テーマ:国際結婚 ア・ラカルト(507)
カテゴリ:アメリカ滞在記
日本から持っていった ロングコートを着ても ガタガタ、ガタガタ・・・ 寒いなんてモンじゃありません。 私たちが到着した日から 突然、寒くなったとの事。 教会の中は暖房が効いていても 天井の高いところなので なかなか温まりません。 でも、皆コートを脱いで お祖母の天寿を祈りました。 ミサが終わり、 お墓まで行くのですが 1台目はいわゆる霊柩車。 叔母、義母、義弟、 そして私たち家族は 2台目のリムジンに乗りました。 それから後ろに約8~9台の 車が続きます。 それぞれがハザードランプをつけ フロントガラスには 「funeral」(お葬式) と言う黄色い札を掲げて お墓に着くまで、他の車が 列に割り込まないよう 表示して運転します。 殆どの車が止まってくれました。 こういう時のアメリカ人の 礼儀正しさが好きです。 お墓に着くと、何百、何千と言う アメリカの国旗がはためいていました。 あとで車を降りてからよくよく見てみると 戦争中になくなった兵士達でした。 第1次、2次世界対戦、 ベトナム戦争、イラク戦争 などなど戦争は様々ですが お国のために命を落とした人が こんなに沢山要るのかと驚きました。 夫の先祖のお墓に到着すると 既に棺おけを入れるための 穴が開いていました。 コンクリートで固められていて いったいいつ掘ったのだろう? コンクリートは乾いているの? と不思議に思っているのを 義母が察したのか、お祖父が 他界した時に4人分の穴を 既に掘ってある・・・との事でした。 とにかく寒い・・・。 体が心底から冷えて 震えが止まりません。 神父様の言葉も上の空に ただただ寒さと戦います。 そして、最後のお別れをして お祖母はコンクリートの 冷たい穴の中に沈められました。 あんな寒くて、暗いところに これからお祖母さまは ずっといるの??? とても切なく、悲しくなりました。 多くの国で火葬がされるなか お祖母は棺おけのまま地下に 埋められました。 アメリカでも火葬するところも あるそうですが、お祖母さまは そのままって事になったらしいです。 大事な人とお別れすることは 何歳になっても慣れることが できません・・・。 義父が言っていました。 親の最期を看取ることは 子供である自分達の仕事。 孫のあなた達は、Nana(おばあちゃん)と 一緒にすごし楽しい時間を 沢山思い出して欲しい。 おばあちゃんもきっと その方が嬉しいと思う・・・。 そして、こうやって親戚一同が 集まったのが、こういう悲しい 機会だったのは本当に、本当に 残念だけれど、自分達、家族が お互いを思いやってると再確認できた いい機会だった・・・。 そして、子供達、孫達と新しい 世代がどんどん生まれ、 大事な家族として時を共有してると 知る事ができて本当に嬉しい・・・。 それぞれがアメリカやカナダ、そして 日本など遠く離れて住んでいるけれど 私たちはいつだって家族なんだ・・・ って言っていた言葉が印象的でした。 私が父を亡くしたときは ただただショックで、悲しくて こんな冷静に周りを見つめながら 話すことなんて無理だった・・・。 おばあちゃんは94歳、 義父は61歳と 人生経験も全然違うけれど 私は悲しみから脱するのに 10年近く掛かったもの。 義父は前向きだなって思った・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.11.27 11:32:24
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