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人生は旅・その旅を・旅する・わたくし

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2016年01月15日
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テーマ:旅の写真(3464)
 
二日目、電車で「嵐山」へ行く 
 
目的は、奥嵯峨・・・バスがあるはずが、
 
バスを待つ地元に人からこのバス停は
 
奥嵯峨方面行きは無いと聞かされる
 
関東から来ていた二人連れも、やはり同じ方向に行くというので
 
4人でタクシーに乗った
 
車の距離では大した事はなく、千円弱で着いた
 
 
 
着いた所は「鳥居本」 
 
彼らとはそこで別れ鳥居本の古い町並みの景色を眺めながら
 
山を下って歩く 
 
 奥嵯峨鳥居本・・・
 
小倉山の北麓から、清滝付近にかけての地域名
 
愛宕山に近い「愛宕神社」への参道に当たり、
 
その「一の鳥居」付近に集落が形成されたことから地名になった
 
奥嵯峨鳥居本の一之鳥居付近は、
 
国の重要歴史的建造物群保存地区に選定されている
  
 
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このあたりは観光客も少なく、のんびりとした集落が良い 
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下矢印下紅葉も上紅葉も真っ盛り、期待を上回って嬉しい限り 
 
十数年振りに、京都の最高潮の秋に出会えた
 
思い立って来た事が正解だった、
 
僥倖な旅に感謝 
 
 
 
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ウィンク手書きハートハート大好きな下紅葉が大笑い!!
 
 
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下矢印
暫く歩くと「化野念仏寺」に着いた
 
寺伝によれば、建立されたのは1200年前
 
弘法大師が五智山如来寺を開創し、
 
その後、法然上人の常念仏道場となった。
 
境内には多数の石仏や石塔がある。
 
化野は東山の鳥辺野、洛北の蓮台野と並ぶ平安時代以来の墓地であり、
 
風葬の地として知られる境内の8000という
 
夥しい数の石仏・石塔は、明治36年(1903年)頃に、
 
化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたものである 
  
 
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下矢印この風景は驚きであった
  
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寺を出て歩く道すがらも、冬とは思えない暖かな日和である
 
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坂道を下がってくるとそこには
 
「祇王寺」がある
 

元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した往生院の跡を引き継いで今日に至る

『平家物語』にも登場し、平清盛の寵愛を受けた

白拍子の祇王が清盛の心変わりにより都を追われるように去り、

母と妹とともに出家、入寺した悲恋の尼寺として知られている

  

その後往生院は衰退をたどり、

明治時代の初期に一時廃寺となるが、

嵯峨大覚寺の支配を受け真言宗に改宗し、

1905年(明治38年)に富岡鉄斎らの尽力もあって復興を遂げた

祇王寺は竹林と楓に囲まれたつつましやかな草庵で、

祇王寺は昔の往生院の境内にあり、
 
往生院は法然上人の門弟良鎮によって創建されたと伝わっている
 
山上山下にわたって広い寺域を占めていた往生院も後年は荒廃し、
 
ささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれるようになった
 
 
 
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祇王寺から小径を下がってくると、「落柿舎」がある 
 

松尾芭蕉の弟子、向井去来の別荘として使用されていた草庵で、

去来がこの草庵について書いた「落柿舎ノ記」がある

古い家の周囲には40本の柿の木があったという

庭の柿を売る契約をしたのちに、

柿がすべて台風で落ちてしまったためこう呼ばれている

 


去来が落柿舎を営んだのは、 貞享  四年(1687)の以前で、
 
芭蕉が初めて 訪れたのは元禄二年(1689)
 
併せて三度来庵する
 
元禄四年(1691)には四月十八日 から五月四日 迄滞留し、
 
その間に『 嵯峨日記  』を誌した 
 
この日、沢山の小さな柿が落ちもせず、残っていた
 
この庭の柿の木々は沢山あり、
 
細いが背が高く、この舎の名に相応しい趣である
 
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常寂光寺への当たりは中腹で、展望が良い
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常寂光寺・・・
 
古来、紅葉の名所として知られる
 
小倉山の中腹に寺域を占める日蓮宗の寺院
 
慶長元 (1596)、大本山本圀寺十六世究竟院日愼上人が、
 
この地に隠棲して開創した。
 
寺域 が幽雅閑寂で、
 
天台四土にいう常寂光土の観があるところから寺号となる 
 
 
この辺に来ると、観光客が多くなる
 
嵐山の観光地が近いことを意味する
 
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平地に降りると、人の多さに驚き歩くにも自由に動けない
 
ここを抜けるには、寺に入るしかないっと
 
「天龍寺」に入った  
 
歩き疲れた事と、空腹なのでゆっくり見ることは出来なかった 
 
人混みを避け、何とかランチ目的の店に辿り着く
 
この蓮の事を「枯れ蓮」と言うそうだ
 
同行の友人は、俳人である「枯れ蓮」は冬の季語だと言う 
 

 

調べてみたら 

蓮に関してはいくつも季語があり、整理すると以下のようになる。 

          お陰で蓮のことが色々知ることができた

 

           【春】 蓮植う    

 【夏】 蓮、はす、はちす、蓮の花、蓮華

        紅蓮、白蓮、蓮(の)葉、蓮(の)浮

   【秋】 蓮の実、破(れ)蓮、敗苛、やれはす

       やれはちす、秋の蓮、蓮の飯    

  【冬】 枯(れ)蓮、かれはす、かれはちす

    蓮枯る、蓮の骨、蓮根掘る 
 
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渡月橋は人の行き来が多いところである
 
高い建物が無いので、時代を感じさせない風景がある 
 
 
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渡月橋から見た山の紅葉は、思わず声が出る 
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 渡月橋の前にある「蕎麦屋」でこの年2回目のランチを食べた
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歩いた寺等の説明は、ネットから参考にさせていただいた。
ネットで調べれば、内容の真偽は言えないが、当たらずとも
遠からじと、考える。沢山の情報が満載されているので
有り難く頂く次第である。  感謝 感謝 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  覚書 「天使のゲーム」上 カルロス・ルイス・サフォン





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最終更新日  2016年01月16日 14時51分22秒
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