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カテゴリ:絵本
「ひろったらっぱ」新美 南吉【作】/葉 祥明【絵】/保坂 重政【編】
内容説明 ひろったらっぱのひびきは、せんそうではなく、へいわをねがうひとびとに、ゆうきときぼうをあたえました。 著者等紹介 新美南吉[ニイミナンキチ] 1913年~1943年。愛知県生まれ。雑誌『赤い鳥』に「ごん狐」を初め多くの童謡・童話を発表。他に少年小説、民話的メルヘン等、優れた創作活動を展開したが、二十九歳で早逝 葉祥明[ヨウショウメイ] 1946年、熊本県生まれ。詩人・絵本作家として活躍。1990年『風とひょう』で、ボローニア国際児童図書展グラフィック賞受賞。また『地雷ではなく花をください』シリーズ(自由国民社)では平和を愛する人びとの共感を呼び、世界各国で翻訳出版されている 保坂重政[ホサカシゲマサ] 1936年、新潟県生まれ。『校定・新美南吉全集』(大日本図書)を初め新美南吉作品の企画・出版に編集者として関わってきた また絵本の紹介です。 新美南吉の童話や絵本は、誰でも一度は読んだことがあるだろう。 29歳で亡くなったのだなと、彼の生涯を確認してあらためて思う。 この絵本は、好きなイラストレーター葉祥明さんの絵に惹かれて、作品も知らなかったので借りてきた。 読んでみたら反戦童話といえるものだった。 作品が書かれたのは、多分戦争の足音が聞こえていた頃だろう。 全文が掲載されているものはないかと検索したら、このサイトがあったので、転載させていただく。 ひろったラッパ 新美南吉 まずしい おとこの 人が ありました。まだ わかいのに おとうさんも おかあさんも きょうだいも なく、ほんとうに ひとりぼっちで ありました。 この おとこの 人は なにか 人の びっくり するような ことを して えらく なりたいと かんがえて おりました。 すると、ちょうど その ころ、西の ほうで せんそうが おこって おりました。 それを きいた、この まずしい おとこの 人は、 「よし、それでは じぶんも せんそうの ある ところへ いって、りっぱな てがらを たて、たいしょうに なろう。」 と、ひとりごとを いいました。 そこで この 人は、西の ほうへ むかって でかけました。なにしろ おかねが ありませんので、きしゃや じどうしゃに のる ことは できません。むらから むらへ こじきを しながら、二本の 足で てくてく あるいて いったのでありました。 「せんそうは どちらですか。せんそうは。」 と、いく さきざきで たずねながら、この 人は ひとつきも ふたつきも たびを しました。 すると、だんだん せんそうの ある ところに ちかずいて きたらしく ときどき とおくの ほうから かすかに たいほうの とどろきが きこえて きました。 「おお、たいほうの おとが きこえる。なんと いう いさましい おとだろう。」 おとこの 人は、むねを おどらせながら 足を はやめて いきました。 そして よるに なってから ねしずまった ひとつの むらに つきました。たいへん しずかな むらで、いぬの なきごえも きこえず、いえいえの まどは みな かたく とざされ、がいとうには ひが ともって いませんでした。おとこは おおはなばたけの そばの、ある くさやねの こやに はいって、ぐっすり ねむりました。 じぶんが りっぱな たいしょうに なって むねに ずらりと くんしょうを ならべ、ぴかぴか ひかる けんを もって、うまの 上に そりかえって いるゆめを みて いると、やがて よが あけて あさに なりました。 おとこが めを さまして みると、これは また どうした ことでしょう。めの まえの おはなばたけが、むちゃくちゃに ふみにじられて あります。 「はて、こんな うつくしい おはなばたけを、だれが あらしたのだろう。」 と、おとこが、たおされた 一本の ケシの はなを おこして やろうと すると、その ねもとに しんちゅうの ラッパが ひとつ おちて おりました。 おとこは ラッパを みると、はなを おこして やる ことも わすれて、 「ああ、これだ。これさえ あれば、じぶんは てがらを たてる ことが できる。じぶんは ラッパしゅに なろう。」 と、たいへん よろこびました。 ところで その むらは、あさに なっても だれも おもてに でて くる ものは なく、まどさえ あけないので ありました。けれど、おとこは うちょうてんに なって いましたので、そんな ことは きにも かけないで、いさましくラッパを ふきならしながら また あるいて いきました。 おとこは、ちょうど おなかが すいて きた ころ、また ひとつの むらに はいりました。 その むらにも,人は あまり いませんでしたが、まだ すこしは のこって おりました。 そこで、おとこは ある いえの まどしたに たって、 「おなかが すいて、しょうが ありません。なにか たべさせて ください。」 と たのみました。 いえの なかには ふたりの としよりが いて ちょうど 一つの パンを 二つに きろうと して いる ところでしたが、はらの すいた おとこを きのどくに おもって パンを 三つに きり、その ひときれを おとこに めぐんで やりました。 「あなたは、これから どちらへ いくのですか。」 と、しんせつな としよりは、わかい おとこに たずねました。 「これから、せんそうに いくのです。わたしは、ラッパしゅに なって りっぱに はたらきます。」 と、わかい おとこは こたえて、としよりたちの まえで いさましく ラッパを ふいて きかせました。 とて とて とて と、 みな みな あつまれ、 けんを もて。 とて とて とて と、 てっぽう かつげ、 はたを もて。 とて とて とて と、 それ それ いそげ、 せんそうへ。 とて とて とて と、 とて とて とて と。 と、おとこは ふきました。 きいて いた としよりは ふかい ためいきを ついて、 「せんそうは もう たくさんです。せんそうの ために わたくしたちは はたけを あらされ、たべる ものは なくなって しまいました。わたしたちは、これから どう したら よいでしょう。」 と,いいました。 おとこは、としよりと わかれて、なおも あるいて いきますと、なるほど あの としよりが いったとおり、はたけは たいほうの わや、うまの あしで すっかり あらされて ありました。 どの むらにも あまり 人は いないで、のこって いる 人びとは、みな あおい やつれた かおを して おりました。 おとこは この 人びとが きのどくに なりました。そこで、もう せんそうに いくのは やめに しました。 「そうだ、この きのどくな 人びとを たすけて やらねば ならない。」 おとこは、あちら こちらの むらに のこって いる 人びとを ひとところに あつめました。 「みなさん、げんきを だしなさい。げんきを だして、ふみあらされた はたけを たがやし、むぎの たねを まきましょう。」 と、おとこは 人びとに いいました。 人びとは、げんきを だして はたけで はたらきはじめました。 あさ いちばん はやく おきるのは、あの おとこで ありました。まだ 日のでないうちから、おとこは はたけの まんなかの おかの 上に のぼってラッパを ふくので ありました。 とて とて とて と、 みな みな おきろ、 もう あさだ。 とて とて とて と、 くわをば もって、 はたに でろ。 とて とて とて と、 たねをば まけよ、 ムギの たね。 とて とて とて と、 とて とて とて と。 と、おとこは ふいたので あります。 すると、人びとは、うまや うしと いっしょに、はたけに でて きて、せっせと はたらきました。 やがて、まいた たねから めが でて、のはらいちめんに ムギの みのる ときが やって きたので あります。 【追記】 新美南吉の童話に流れる平和の心 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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