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桐島聡容疑者「岡山に女と一緒にいる」の電話から49年不明…鎌倉の病院に名乗る男1/26(金) 読売
歴史的な事件が急展開した。1970年代に連続企業爆破事件を起こした過激派組織「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者(70)を名乗る男が見つかった。半世紀にわたって逃亡を続ける桐島容疑者なのか。発見の一報に衝撃が広がった。 「『桐島聡』と名乗る男性が入院している」――。公安部に神奈川県警から情報が寄せられたのは25日だった。公安部は神奈川県鎌倉市内の病院に捜査員を派遣。本人の可能性が高いとの感触を得た。 捜査員の一人は、「桐島容疑者の足取りはつかめていなかった。本人であれば、長年追い続けた捜査員たちの悲願が果たされる」と興奮した様子で話した。 男が入院中の鎌倉市内の病院前には26日夕、報道陣約30人が集まり、騒然とした雰囲気に包まれた。 連続企業爆破事件を巡っては、75年5月、主要メンバー7人が一斉に逮捕されたが、桐島容疑者は捜査の目をかいくぐってきた。 手配資料などによると、桐島容疑者は広島県神辺町(現・福山市)出身で、県内の高校を卒業後、72年に明治学院大学に入学した。 75年4月、在学中に東アジア反日武装戦線の「さそり」グループのメンバーとして事件を起こし、逃走直前まで、東京都新宿区歌舞伎町の大衆料理店でアルバイトをしていたとされる。 事件後の75年5月20日に渋谷区内の銀行で現金を下ろした後、同31日に広島県の実家に電話をかけ、「岡山に女と一緒にいる」などと父親に伝えたのを最後に、足取りが途絶えていた。 捜査幹部は、「単独で50年近くも逃げ切れるはずがない。本人と特定されれば、逃亡に協力した人物がいないかについても捜査していく」と話した。 指名手配された容疑者が長期間潜伏していたケースは過去にもある。 1971年11月の「渋谷暴動」を巡っては、指名手配されていた中核派活動家、大坂正明被告(74)(1審で懲役20年、控訴中)が約46年間逃亡を続け、2017年5月に広島市内のマンション一室で発見された。 1970年代を中心に世界各地でテロを起こした過激派グループ「日本赤軍」の重信房子・元最高幹部(78)は、75年8月の国際手配から25年間、潜伏を続けていた。 オウム真理教による事件では、11年の大みそかに特別手配中の教団元幹部、平田信受刑者(58)(懲役9年が確定)が17年近い逃亡生活の末、警視庁に出頭。翌12年6月には、元信者の女性(52)が相模原市内で、川崎市に潜伏していた高橋克也受刑者(65)(無期懲役が確定)が東京都大田区内でそれぞれ発見された。 50年も、どうやって暮らしていたのだろうか。 ほとんどの人生を、怯えながら身を隠して生きるなんて私には想像もできない。 あの時代、似たような過激派グループの事件も色々あったけれど、 そのメンバーたちの多くは過激に大声で主張する人になりゆきで付和雷同し、 自分の価値観も見いだせず信念もなく、巻き込まれた人たちだっただろうと今は思っている。 その傾向性は、時代が変化しても多くの日本人のものではないか。 最後は自分の名前で死にたかったのだろうなと思うと哀れだが、 自分を見つめ、自分の価値観で生きることをしない時の、わかりやすい結果のように思う。 彼にも、彼を支えていた人がいたのだろうが、その人の人生はどんなものなのだろうか。 と思っていたら、こんな記事を見つけた。 末期がん患者「自分は桐島聡だ」50年前の指名手配犯か 自白は贖罪ではなく〝勝利宣言〟東スポWEB / 2024年1月27日 (一部抜粋) 過激派に詳しい関係者は「名乗り出たのはザンゲではなく勝利宣言でしょう。余命ギリギリまで逃げ延びて自首したのですから。この50年、他の極左過激派での逃亡犯同様、シンパの支援を受けながらあがめられて生きてきた可能性が高いです。最後に名乗り出て、警察病院のお世話になるというのも勝ち誇った感じです」と指摘する。 はあ? 勝利宣言ですか?! このタイプの人達の思考回路は、私とは全く違うもののようだ。 思考回路が違う人のことは、想像も共感もできにくい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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