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テーマ:エッセイ(94)
カテゴリ:過去のエッセイ
「吹雪の中で」(47歳)
冬になると、吹雪の中でもがく自分を思い出す。私が通った中学校は、家から4キロの距離だった。 35年前の冬の田舎道は、人の足跡や馬橇の跡だけが道の痕跡だった。近所に同級生のいない私は、いつもその雪道を一人で歩いて通学した。いくら寒さが厳しくても、雪が降っても、吹雪かなければ夜道でもへっちゃらだった。小学一年生の時から、私は一人で歩いていたのだから。 しかし中学生になり、生徒会やクラブ活動で下校時間が遅くなると、身の危険を感じることも多くなった。最初から吹雪いていたなら、遠回りして除雪された道を帰るのだが、途中で吹雪き始めた時が大変である。 足跡だけの道は吹雪ですぐにかき消され、道路脇の用水も雪に埋もれてまっ平に見える。用水に落ちる危険を避けるためには、道をはずれてもそこから離れなければならない。つまり、踏み固められていない雪原を、腰まで雪に埋まりながら一歩一歩這いずるように歩くしかない。 風と雪は容赦なく私に吹き付け、周りの景色を失わせ、方向感覚さえも狂わせてしまう。鞄を持つ手は次第にかじかみ、感覚もなくなる。雪と夢中で格闘しているうちに手袋が抜けてしまい、ハッと気付いて必死に探し回った時もある。 雪の中でもがくうちに方向がわからなくなり、(このまま動かずにいたら、死ぬかもしれない)と思いつつ、じっとしている心地良さをボンヤリ楽しんでいた時さえある。 しかし、いつも私は無事に帰ることができた。ジッと待っているとフッと風が止み、その一瞬の静寂の中に我が家の灯りが見えたり、(もうダメだ)と泣きそうになった目の前に、父の持つ懐中電灯の光が突然現れ、(助かった!)と安堵したり。 私が多少なりとも孤独に強く、あまり人に頼ろうとせず、(諦めずに努力していれば、きっと道は開けるさ)という楽天性を持つようになったのは、あの頃の体験のおかげかもしれない。 吹雪の体験については、この時に書いたエッセイが下敷きになって何度かブログで書いている。 今ではこのような体験をする子どもは少ないと思うが、時々大吹雪で亡くなる人が今でもいる。 その多くは、自動車が立ち往生して排気ガスが車内に入っての中毒死や、 「あともう少しで家だ」と車を乗り捨ててと歩き出し、方向感覚を失っての雪倒れか。 天候の急変はよくあることだ。また、最近は自然も温暖化のせいか従来とは変化してきて、 目につくのは雪山での遭難や、スキー場のバックカントリーでの遭難や雪崩事故。 いつの時代も、自然を侮ってはいけないと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年03月07日 15時29分29秒
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