映画「日本国憲法」
昨日は、所属する会に関係する全道規模のつどいが札幌市であった。私は、その集いでの午前中の役割があったので、この映画の上映会があることは知っていたが、半分諦めていた。しかし、何とか午前中でお役目から解放させていただけたので、一緒に行った仲間一人と、この映画会に走った。映画「日本国憲法」は、ジャン・ユンカーマン監督(アメリカ人)が各国の知識人へのインタビューを編集した作品である。公式サイトを見て、プロデューサーが日本人(山上徹二郎氏)であることに、少しホッとした。映画会の会場は「かでる2.7」の会議室で、ビデオ上映のような形であったため、字幕が少し見えにくく(前の人たちの頭などで)少し疲れたが、あらためて「憲法第九条」の価値を考えさせられた。公式サイトから、私が印象に残ったメッセージを転載する。「すべての戦争は自衛の名の下で行われています」 ジョン・ダワー(歴史家、マサチューセッツ工科大学教授) この人の著作である、日本の戦後史を描いた『敗北を抱きしめて』は、ぜひ読んでみたい。「押しつけ憲法だから問題なのではありません。すべてのいい憲法は、たいてい民衆が政府に押しつけたものです」 C.ダグラス・スミス(作家・政治学者) 彼の著作「憲法と戦争」で、私は憲法九条だけは変えるべきではないと確信した。 この映画を見たかった動機の一つは、彼も登場していると知ったから。「憲法"改正"問題を国内問題にしちゃダメですよ。国際問題ですから」 日高六郎 この言葉には、目から鱗の気がした。「武力行使の放棄を誓った第9条こそが、日本のアジア諸国に対する戦後謝罪だったのです。第9条の放棄は謝罪を放棄することです」 チャルマーズ・ジョンソン(アジア政治学者) これも目から鱗。まさにその通りだと思う。「もし日本がアメリカの体制に加わるなら、これは20世紀への逆戻りどころか野蛮時代への逆戻りでしょう」 ノーム・チョムスキー うーん、そういうことになるのか?そのほかにも、示唆に富む言葉の連続だった。私は、たとえ占領国アメリカからの押し付け的な側面があったにせよ、それをこの60年大切なものとして守り続けたのは日本人、特に戦争で多大な犠牲を国によって強いられた庶民の意思だったと思う。「憲法第9条はまるで、神が私たち人類に贈ってくれた宝物のようです。」(班忠義)とまでは思わぬにせよ、平和と民主主義、そして人権の大切さ希求する人々の思いの結集であったことは確かだろう。会場には、若い人たちの姿も多かった。北海道教育大学の学生達の実行委員会によるものと知って、まだ日本は捨てたものじゃないという思いを抱いた。それにしてもこの映画が、日本人の手で作られたらもっと素晴らしかったのに・・。