公開する日記って・・・?
この日記を書くようになってから、いつも感じることがある。この日記は、誰が見ているかわからない。だから、人や地域を特定するような書き方は、出来るだけ避けるようにしている。でも、どうしても批判したいことは、それなりにわかるように書いてしまう。それでも、思っていることの半分も書けたら良いほうだ。若い頃は、毎日日記を書いていた。その頃の日記は、日常生活の記録ではなくて、心の記録的なものだったので、とても他人には見せることが出来ないような「ドロドロ」したものだった。公開の日記は、見る人が不快にならない程度に抑えざるを得ない。このような日記は、私自身にとってどのような意味があるのだろうと、つい考えてしまう。日記を媒介として、見知らぬ人とコミュニケーションが始まる。それがネットの魅力なのだが、このコミュニケーションは、私にとってどのような位置づけなのだろう。今のところ、まだ「丸ごとの人間」というような実感が持てないのも事実だ。しかし、このツールを使って、活発に意見交換をしたり、自分を高めている人が実在しているのも事実。昔、まだ自分が未確立の時に感じた「自分自身の二重性」のようなものを、パソコンに向かった時に感じている。少しずつ、そのような違和感は軽減されていくのだろうか。