『マオ-誰も知らなかった毛沢東-』
数日前から、図書館で借りた『マオ-誰も知らなかった毛沢東-』を読んでいる。上下巻なのだが、二冊借りても期限内に読めそうもないので、上巻だけ借りてきた。『マオ-誰も知らなかった毛沢東-』ユン チアン (著), J・ハリデイ (著), 土屋 京子 (翻訳) はっきり言って、読み続けるのが辛くなる。ここに書かれていることが全部事実なのかどうかはわからないし、かなりの時間をかけて資料を調べ、関係者にインタビューしたことに基づいているらしいが、その信憑性については異議を唱えている人もいるようだ。それはそうだろう。これが全部事実としたら、現在も天安門に掲げられている毛沢東は何を意味するのだ。しかし、誇張や憎悪からなる解釈というバイアスがかかっていたとしても、ここに書かれていることすべてがフィクションというわけでもあるまい。間違いなく毛沢東は、非情な権力欲の塊の独裁者だったはず。数々の粛清の恐怖で人を操り、謀略の限りを尽くして支配者となった人であり、自分の権力欲のために、ソ連のスターリンも日本の軍国主義も徹底的に利用した人物ということになる。極端な平和主義者の私は、想像するのもおぞましい拷問や粛清に関する記述は読むに耐えられず、様々な謀略に関する記述も、胸が悪くなって読み飛ばしてしまっている。そして思った。毛沢東は、まさにカンボジアのポル・ポトであり、北朝鮮の金正日と同じタイプの人間だ。いや、独裁者になるのは、このような人物だということなのだろう。(彼らの顔は、オウムの麻原や○○学会の名誉会長にも似ているような気も・・)。いずれにせよ、今の中国の人たちは、多かれ少なかれ毛沢東の時代の影響を受けている。何年か前に中国を旅したとき、一部の人たちは別として、観光地で商売をやっている人や、現地ガイドの態度や雰囲気に、「儒教の国だった」とは思えない自己中心的な雰囲気を感じて、何とはなしの違和感を抱いたことを思い出す。その一方で、仕事や留学で来日している中国の人は、本当に真面目で努力家で素晴らしい人格を感じる人が多かった。「マオ」を書いたユン・チアンも、間違いなく後者のタイプのエリートであり、母国への強い愛が、この本を書かせたのだろうと思う。国を本当に愛するということは、自国の暗部もしっかりと見つめ、その負の遺産を清算して乗り越える意思を持つことだと思う。下巻を読むのはちょっと気が重いが、ここまで読んだのだから最後まで読むことにしよう。これから図書館に行ってきます。