あの時は確かにそう思ってたけどいまはそうじゃないんだもん!
と、いえよ,吉岡里帆ちゃん・・・・いえ、火曜ドラマなんですけどねなんともイタいどらまでよくまあ、理、受けたなこんな役・・・先週理が言ったわけなんですよ「俺のためならなんでもする、っていったよな」ってそういわれたヒロイン、里帆ちゃんは固まりおびえ、そうして理扮する、昔の彼の思うままに操作支配されてゆくのです・・・なるほど、こうやって人は人を思い通りに動かすわけね、と思いながらみておりますあの感じのいい誠実そうな向井理が、ほんっっっっとおっかない粘着質の男を上手に演じておられますまあ、彼らがそうなったのは彼らのせいではなくたとえば、ヒロインは母親から心理的虐待を受けていて理君は、なんと母親が父親をあやめ、その上その父親の顔に似ているからという理由で母親から整形を強いられるというなんともはや、もうむちゃくちゃやという設定なわけですがでもまあ、であるからこそさもありなん、登場人物は心の中に大きな「怒り」を秘めていてその怒りがマグマのように奥底で激しく燃えさかっておる・・らしい。〔思わず大仰な表現になってしまいましたがあのドラマの設定にそっていくとこうなる)おそらく怒り、というのは持っているだけ苦しくなるで、あるからこそ手っ取り早く解消しようとしてお人にやつ当たったり、代償行為と呼ばれる行動をとってしまうのではないか、と私は思っているのですが、そう思うとこの場合、理のサンドバックは里帆ちゃんなのだろうなあ。で、タイトルに戻りますが大昔里帆ちゃんにとって理は、「どんな自分でも大切だよ」と教えてくれた初めてのひとだった・・・・らしい。それまで毎日母親が編んでくれた三つあみから卒業させてくれた素敵な先輩。〔その代わりにスカーフを三つあみにしてるわけだが。だめじゃん)彼のおかげで自分を少しだけ解放させることができた彼のおかげで自分を少し認めることができた・・・というわけでつまり彼女は他人〔理)のことばのなかに自分を肯定するツールを見つけたわけなんでしょうなだからいつまでもとらわれるし彼に好かれていたい彼から見捨てられたくないと思ってしまっている・・・故の「おれのためならなんでもするっていったよな」ということばを受けての自虐行動に走る、と。こわいねえ、こわいこわいこわい。こうやってお人は巧みにお人を思い通りに操作支配しようとする。おそらく、たぶん心が健康なひとなら他者の言葉をそこまでよりどころにしないでしょうし〔答えは自分のなかにあるからな!)もしくは周りを巻き込んでしまって「ねねねねね、きいてきいてきいて」とお人に迷惑掛けながら何とかやっていく人もいるのだろうし(わたしだなあ・・・)でも、「圧倒的な孤独」の中にいて信頼の置ける対象がどこにもいない、という場合ならこういうあり地獄のような状況になっていく・・ということもあるのかもしれませんねえ・・・共依存、とかストーカーとか案外ねっこの原因はこんなところにあるのかもしれませんねえ。というわけでいやよいやよも好きのうち毎週録画してみております「君が心に棲みついた」それにしても、被害者の振りする加害者ほどおっかないものはないわねこちらの罪悪感を刺激して、私が悪かったのか?と思わせる・・・・んなわけないじゃん!たいていの事象は喧嘩両成敗なのだから。そういう人に出会ったら全力でにげろと、娘にはいってます・笑