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カテゴリ:童謡・童話
雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ 昔むかしよ 燃えろよペチカ 雪の降る夜は 楽しいペチカ ペチカ燃えろよ おもては寒い 栗や栗やと 呼びますペチカ 雪の降る夜は 楽しいペチカ ペチカ燃えろよ じき春来ます いまにやなぎも もえましょペチカ 雪の降る夜は 楽しいペチカ ペチカ燃えろよ だれだか来ます お客さまでしょ うれしいペチカ 雪の降る夜は 楽しいペチカ ペチカ燃えろよ お話しましょ 火の粉パチパチ はねろよペチカ ========== 北原白秋作詞・山田耕筰作曲 詞は北原白秋氏が満州旅行で見た自然風景を思い浮かべ作ったものだそうです。1925年の曲です。この童謡のことをロシア民謡の日本語版だと思っていた向きもあろうかとは、存じますが以下の通り、かのゴールデンコンビの名作です。そう思わせてしまう、山田氏の技量はさすが日本を代表する作曲家ですね^^。 『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋 北原白秋(1885年1月25日 - 1942年11月2日) は、日本人の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。詩、童謡、短歌以外にも、「松島音頭」や「ちゃっきり節」等の新民謡も書き、あらゆるジャンルで傑作を生んだ。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、日本を代表する詩人である。 1922年(大正11年)山田耕筰と「詩と音楽」創刊。山田とのコンビで数々の童謡の傑作を世に送りだす。歌謡集『日本の笛』などを刊行。 山田 耕筰(1886年6月9日 - 1965年12月29日)は、日本の作曲家、指揮者。日本語の抑揚を活かしたメロディーで多くの作品を残した。日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めた。また、ニューヨークのカーネギー・ホールで自作の管弦楽曲を演奏、ベルリン・フィルやレニングラード・フィル等を指揮するなど国際的にも活動、欧米でも名前を知られた最初の日本人音楽家でもある。あまり知られていないが、軍歌の作曲も多く手がけている。 エピソード1)「カルピス」の商品名・社名は、同社の社長から相談を受けた山田が「最も響きがよく、大いに繁盛するだろう」とアドバイスしたことで決まったものであるとされる。 エピソード2)代表作の題名にもなっている「ペチカ」とはロシア風の暖炉のことで、後にロシア人の実際の発音を聞いた山田は、歌うときには「ペイチカ」と発音されることを望んだという。 ・・・・・・・・・・ ペチカとは? 台所にレンガ造りの石炭投入口がありそこで石炭を一気に燃焼させ、強い熱気が煙道を通り各部屋のレンガの壁に伝わり暖房する仕組み。一旦ペチカが完全に暖まってしまえば後は余熱で部屋が暖まる。 元々は北欧地方の暖炉(囲炉裏)から発達したと言われています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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