308378 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

秋桜日記

秋桜日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カテゴリ

日記/記事の投稿

サイド自由欄

このショップ、超使えそう!
特化すぎるけど、専門の方がいいもんね!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《赤ちゃん、お出かけグッズ大集合!》
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《大量のホンモノの腕時計!豆知識も豊富でためになって、しかも楽しい!》
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《シーンによって服を取り替えるのと同じように、デザイン、カラバリも豊富!》
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《健康・美容に効く入浴方法などコラムも豊富!お風呂まわり全般を網羅!やっぱ、リラックスできるお風呂にしたい》
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《おしぼり、フェイスタオル、ダスター、ウエス、洗剤、伝票…いろいろ網羅!業務用ってところも素敵!》
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ブラシの平野
《洋服ブラシ、ヘアブラシ、歯ブラシ。カテゴリはこの3つ!でも手作りにこだわる職人感は半端ない!》
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《これぞ!日本の職人集団!パートナーリストの記事を読んでるだけでも相当楽しい!欲しいもの、沢山あって困る!》
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《「きれいなところに人があつまる」う~ん!まさにその通り!年末に向けて洗剤買わなきゃ!》
2007.06.05
XML
カテゴリ:童謡・童話
雨降りお月さん 雲の蔭
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
一人でからかさ さしてゆく
からかさないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた
お馬にゆられて ぬれてゆく

いそがにゃお馬よ 夜が明けよう
手綱の下から チョイと見たりゃ
お袖でお顔を かくしてる
お袖はぬれても 乾しゃかわく
雨降りお月さん 雲の蔭
お馬にゆられて ぬれてゆく
==========
野口雨情作詞・中山晋平作曲/大正14年
----------
全文をフナハシ学習塾のHPより抜粋しました。
----------
なぜ、一番と二番のメロディーが違うのか ?
お嫁さんが雨の中、花嫁衣裳のまま
  ♪ ひとりで傘(からかさ) さしてゆく・・・
とは、お嫁に行くというのに、なんて淋しそうな歌なのだろう。
それと、一番の出だしの、
  ♪ 雨降りお月さん 雲の蔭(かげ)・・・
と、二番の出だし、
  ♪ 急がにゃお馬よ 夜があけよう・・・
のメロディーが違うことが疑問である。 それだけではない。一番と二番の節が所々違っている。
はて、どうしてだろう?
作曲家の中山晋平が、詩のアクセントのせいでメロディーをわざと変えたのだろう・・・。
いや、そうではなかった。
この歌は、もともと別々の歌だったのだ。
ちゃんと題名があります。
一番の題名は 「雨降りお月さん」 という。 ”お月” ではなく ”お月さん” である。
二番の題名は 「雲の蔭」 とつけられていた。
「雨降りお月さん」 が楽譜付で発表されたのは、大正14年(1925年)、
雑誌 「コドモノクニ」正月増刊号。
作詞の野口雨情は、はじめこの詩の題名を 「雨降りお月」 としていたが、作曲家の晋平のたっての希望で ”さん” をつけたのである。
この ”さんづけ” の歌は、子供たちから大評判をとったのである。また、大人たちにも楽しめる楽曲になっていた。
出版社に ”傑作”、”すばらしい”の賛辞の声が続々と、そして、 ”続編を” という声も多くなっていった。
そこで、早速似た作品を作った。「雲の蔭」である。 
では、なぜこの二曲が合体してしまったのだろうか?偶然だったのか?それとも意図されたものか?

昭和に入り、レコード産業が発達していく。
そうなれば、一番だけの「雨降りお月さん」にも二番三番の歌詞が必要となってきた。そこで、雨情、晋平は同じ字数の詩に、よく似たメロディーを施した。
そして、新たに誌上で発表した後、この二曲をドッキングさせてしまおうと考えていたのだ。
このドッキングさせた曲を一つの曲として、雨情が最初に考えていた題名 「雨降りお月」 でレコード歌手第一号の佐藤千夜子(さとうちやこ)が歌ったのだ。
当時は、この歌のジャンルを童謡とせず、新民謡として発売している。

♪ ひとりで傘(からかさ) さしてゆく・・・
のだろうか? うれしいはずのお嫁入りなのに、
♪ お袖でお顔を 隠してる・・・
のだろう? きれいな花嫁衣裳を着ているのに、なぜ
♪ ぬれてゆく・・・
と、あきらめているのだろうか?

「雨降りお月さん」が、はじめて雑誌「コドモノクニ」に載ったときの岡本帰一のカラー挿絵は・・・
月がおぼろげに浮かんでいる。そして黒馬に座る女の人は、真っ白い衣装に角隠し。
目は描かれていないが、悲しげにうつむいている。
馬までもが一緒に下を向いている。
さらに、その馬の足の部分が、なんと雲の中に隠れいていて、描かれていない。
♪ 雲の蔭・・・
になるのは、月だけでなく馬の足でもあったのだ。
これでは、まるで月に嫁入りするみたいな絵になっている。

月に嫁ぐとは、このお嫁さんは天国に昇る、つまり死んでしまったのではないだろうか?
だからこそ雨の中、親も仲人も誰一人ついて行ってやれないのである。

じつは、雨情の「しゃぼん玉」は、発表のころ2才で亡くなった恒子という娘のことを歌ったと、ずっと言われていた。

しかし、それは長女みどりが、
♪ 生まれてすぐに・・・
亡くなったことは 童謡しゃぼん玉に載せてありますが、ひょっとしてこの「雨降りお月さん」の花嫁こそが、恒子さんだったのではなかろうか?
恒子は、この「雨降りお月さん」を発表する少し前の大正13年(1924年)9月23日に天に召されている。
この詩が誌上に発表されるのは、翌年の正月号だ。

人生を謳歌(おうか)することなく、恒子は月へ
♪ ひとりで傘(からかさ) さして・・・
嫁入りしたのである。
からかさは、破戒僧(はかいそう)が寺から追放されるときでも、からかさ一本だけは持っていくことが許される、といわれる。
このことから、何も持たせることができない死出の旅にも、からかさだけは許されることを意味している。
親の切ない愛情だったのである。
♪ 傘ないときゃ 誰とゆく シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた お馬にゆられて ぬれてゆく・・・

死への旅のお供は、ただ一つだけ。傘がないなら鈴をつけた馬にしようというのである。
雨情は死んだ娘に白い衣装をつけさせて、馬に乗せてみた。たった2年と10ヶ月のあっという間の短い人生。楽しいことなどなかったろう。父の顔などすぐに忘れてしまうのだろう。雨情はやりきれなかった。

月には神が住んでいる。人は死ぬと月に行くという。どうか月の世界に行ったら、今度は幸せになってほしい。
♪ 急がにゃお馬よ 夜があけよう・・・
娘が月に嫁ぐのだ。朝になってしまっては、太陽で月が見えなくなってしまう。
馬よ早く急いでやっておくれ!
永遠に月に住みついてしまった娘の名を呼んでみた。「恒子・・・」

泣けてきた。だから ”お月さん” などとのんきに ”さんづけ” できなかった。したくなかったのである。

「雨降りお月」 として書いた題名は、一度晋平の願いで「雨降りお月さん」になった。けれど、「雲の蔭」 と一緒にしたとき、今度こそ自分の意志を通して「雨降りお月」 にしっかり戻していたのである。

せめてもの親としての抵抗だった・・・。雨情の涙が雨になった。月がおぼろに浮かんでいた

フナハシ学習塾のHPより抜粋
==========
美しい文言や旋律のなかにメッセージを込め、確実に一般大衆にそれが、伝わる。。。それが出来るのは、作詞、作曲を極めたごく少数の天才たちだけだ。
幼くして逝ってしまった我が子をおくる詩だったとしても、作詞家の心の叫びを一般大衆も感じ取って伝わっていく。敏感に感じ取る、一般大衆もまた天才である。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007.06.06 01:32:10
コメント(0) | コメントを書く
[童謡・童話] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X