|
カテゴリ:子育て
‘親になるということ’ それを自分の中で どんな風に認識していますか? 私は、初めて出産したとき 自分の理想がありました。 でも 子供は育てたいようには育たないもの。 それは わかっていました・・・。 二人目を出産すると 理想どころか、可愛さが優先して つい甘い言葉で理想を誘導するようになり 子供の成長に合わせた接し方を意識している自分が芽生え始めた。 二人目が産まれる前 長女を育てるのにとても一生懸命で ただただ 一生懸命だっただけで・・・ 今は 長女と私だけの時間が どんどん昔のことのように思えてくる。 まだ、ママがとっても恋しくて まだまだ小さくて 長女は 私の 初めての宝物なのに・・・ どうして もっと気持ちが一緒にいてやれないのだろう・・・と あの子の寂しさを察する。 一人っ子や二番目三番目に産まれた 同じ6歳のお友達を見ていると 自分と同じ6歳児の子供とは思えないほど無邪気で可愛い。 我が家の長男はまだ4歳だけど その4歳の長男に接するように 母親は可愛さあまって6歳児の子供に接しているように見えるんだ。 その光景は私にとって いつも教訓になる。 この子は‘まだ’6歳なんだ・・・と。 もっともっと 愛して、もっともっと 甘えさせてやらねばならないのかも知れない・・・と。 でも、長女だけだったら 私は子育てについて何も学べなかっただろうと思う。 下の子が産まれたから わかったんだ。 下の子に手がかっていても その対応方法は感情的なものではなく 子供が理解し自分の気持ちでうなづくこと 無理して 我慢して ママのためではなく 素直に子供の心を 読んでやろうと思えるようになったんだ。 でも 今、下の子は4歳 今、そのことに気がついても 長女が4歳だったときには戻れない。 今、4歳児である下の子は 今、6歳児の長女に比べると とっても幼くて小さい。 でも果たして長女が4歳だった頃、私は 同じような目で長女を見ていたかと言うと そうではなかった。 感情的に自分の理想を押し付け 良いこと、悪いことの区別はママが決め 子供の気持ちや、子供が本当にやりたいことを 引き出せずにいたのではないか・・・ 私の子育ては間違えているのではないかと不安で仕方がない。 それでも 長女を育ててゆく上での理想を追い求めている私が止まらない。 理想とは人としてこうあってほしいとか こうあるべきではないとかいうことなのだけれど それは 理想でしかないということに 気がついてはいるのだけれど6歳児に わかる範囲での接し方や話し方で接することができないんだ・・・。 私は、私の子供ではあるけれど それ以前に、一人の人間であるということを 意識しすぎているのかもしれない・・・。 子育てを真剣にやっているつもりではいる。 でも、どうもがいても どう頑張っても、人間をゼロから作り上げることは どんな難しい数式が解けても どれだけ難しい勉強ができても どんな困難を乗り越えても どれだけ自分の人生がうまくいってても 本当に難しいことなんだと思う。 子育てをするということは 自分がどんな人間であるかの証みたいなもの。 子供は必ず育てられたように育っている。 育てたいようには育ってはいかない・・・身をもって そう感じる。 ~わたし論~
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年11月18日 12時11分15秒
[子育て] カテゴリの最新記事
|
|