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テーマ:あなたはどんな人ですか?(88)
カテゴリ:私スタイル
やっぱり信じるということの意味がわからない。 私の中には信じるという言葉がない。 信じられないのではなくて 信じないんだ・・・。 以前、何かのテレビで どこかの国には幸せという言葉はないと報道していた。 幸せという言葉がなければ 不幸せという言葉もないのだ。 どうしたら、 私が人を‘信じない’ということを 人にわかってもらえるか考えた・・・。 人を信じられないことは かわいそうなこと・・・と そう思われているかもしれないから・・・。 でも そういうことではなくて 信じるという言葉が私の中になければ 信じないという言葉もないんだ・・・。 信じているという言葉の裏には 見返りが期待されている気がしてならない・・・。 何かの都合でその信頼が崩れてしまった時 信じていたのに・・・ と何も攻めたくない。 そんな風に人と接したくない・・・。 それでも 何かを人に任せたり 頼ったりすることはあるけれど 信じている代わりに・・・とか 信じているから裏切らないで・・・とか 何らかの意味や何らかの交換条件をもって任せてはいない。 もちろん、信頼や信じるということが そんな特別な意味を持って接するばかりではない。 そして、人を当てにしていないわけでもないんだ。 その人間性で 任せられるか任せられないか 自分自身で判断し、その結果が自分自身の 人間性を見極める力であったことになるんだ。 信じるとか信じないとか 信じているとか信じられないとか 信じていたのにとか・・・ そんな言葉は やっぱり信じない。 今、自分がここにいる真実だけが本当の真実なのではないだろうか? 全てのことに対し、今が絶対であること意外に絶対はない。 何かを守るために、絶対があってほしいと 望むことはあっても、それを信じることはできない・・・。 家族や子供達が永遠に私のそばで微笑んでいて欲しい・・・ その笑顔の中で生き続けたい・・・ そう願うばかり。 パパも私を永遠に愛してくれたら・・・ パパは私が死ぬまで生きていて欲しい・・・ でも、もし突然いなくなったら? 永遠の愛は誓えない・・・。 私の辞書には 信じるという言葉は ない。 人と人は心と心で付き合ってゆけばいい・・・。 言葉も必要だけど、 その言葉のなかには いつも愛情をもって語りかけること。 人を信じることよりも 人に暖かい心をもって接することのほうが 私にとっては人を信じることよりも何よりも大切なことなんだ・・・。
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Last updated
2006年03月07日 12時14分20秒
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