韓国旅行4日間(3日目)前編・・・板門店ツアー
【主催】大韓旅行社 参加費用 7,500円今日は日本から予約していった板門店ツアー。昨日と同じくツライお目覚めとなるが、気力をふりしぼり(笑)朝食を食べにシンソンソルロンタンへ。お店はホテルの斜め前、30歩位で到着~。余計な味付けなしのスープが胃にしみいる。牛骨スープよ、お肌にもしみこめ、しみこめと念じて食べた。途中からスープにご飯を入れクッパにした。うー、また食べたい。ツアーの集合時間は10時10分、集合場所のロッテホテルへ。ツアーデスクで、さっそく私のミュールを指摘され、ピカピカの上履きちっくな靴を渡される。ゴムのニオイが懐かしい。が、服装規定の「国連軍のゲストとして恥ずかしくない服装」に、この靴はありなのか。。とは言え、参加できることになり良かった。銃撃戦など不足の事態になった時、サンダルでは走りにくいからという事をどこかで読んだ。お借りした靴のサイズ24、私21.5、、そうなったら裸足で逃げよう。今回は、英語と日本語のツアーが同じバス。バスが走り出すと、まもなく朝鮮民族の歴史や朝鮮戦争、植民地など現在に至るまでの説明が始まる。ガイドさんは韓国人、私達が教えられた歴史と言う観点で話します。との前置きがあった。日本語→英語と、ガイドさん2人も忙しそう。聞きもらさないようにこちらも必死に耳を傾ける。その間、河岸沿いの道をひたすら走る。その河岸と道路の間には鉄条網が延々と続く。北側からのスパイの潜入を防ぐ為だそう。スパイと言われてもぴんとこないが現実。。最初に、肉弾十勇士忠魂碑のある場所でバスを降りた。そこで1枚目の集合写真を撮る。その後は、昼食のプルコギを食べに民家の並ぶロッジ風の食堂へ。初めて食べるプルコギは甘~い味付け、でも美味しいなぁ。気になるはお肉のアクを取らない事。まぁ、そんな細かいこと、いいじゃないか自分と、ご飯もすすみ美味しく頂きました。お腹もいっぱいになった所で、板門店に向けて再びバスは出発した。これより先、許可する場所以外でのカメラ撮影禁止のお達しがある。入り口では軍人さんがバスの中へ入ってきて、パスポートと本人確認をしていく。その先で、もう一度パスポートチェックを受け、バスの中を点検する為に全員バスから降ろされた。そこで上履きちっくな靴に履き替えた。あまりに似合うので2人につまらながられる(笑)さらに国連軍のバスに乗り換え、護衛をしてくれる軍人さんが乗り込んできた。各検問所では、タイヤをパンクさせるものやクランクなどがあるし、車が走り出して間もなく地雷原や戦車止め鉄条網を見て、じわじわと緊張してくる。板門店見学の事前のブリーフィングをする為、キャンプボニファスヘ到着した。バスを降りて2枚目の集合写真を撮り、宣誓書(ガイドさんは「死んでも構いませんという意味です。」と、あまりに直球な発言にびびる。)にサインをした。ブリーフィングでは、建物の配置や以前は行き来していた板門店(共同警備地域内)で、休戦ラインをはさみ向き合う、今の形になる「ポプラの木事件」などをスライドを使いながら説明をうける。この後の予定が変更となり、先に売店のある建物へ行くことになった。といっても隣りの建物。ここではJSAと入ったフタつきのステンレスのカップを購入。ヒデちゃんへのお土産になった。またバスに乗り、いよいよ板門店へ。ここに来る為に日本から予約し、服装やパスポートチェック、宣誓書も書いてきた。気のせいか皆そわそわしてる気がする。見学時の持ち物はカメラのみ。手を振る、指をさす行為も厳禁で2列になって見学をする。離散家族が会うために作られたという近代的な建物「自由の家」の前でバスが止まった。この建物を通り抜け展望台まで歩くと写真撮影が許可される。見晴らしがよく、北側もよく見える。北朝鮮側の監視塔屋上では、一般の労働者が何人もいた。作業しているようにはあまり見えない、ガイドさんも珍しい光景だと話していた。1人ならともかく、話をしながら周りを眺めていると、何度も指をさしそうになっては引っ込めた。展望台からカメラを向けてくる私達観光客を、彼達はどう思っていたのだろう。北朝鮮側の軍人さんも双眼鏡でこちらを見ている。青い建物は韓国側、灰色の建物は北朝鮮側が管理しているそう。大きい建物は北朝鮮の板門閣。あの建物に身体を半分出している姿勢はテコンドーの姿勢で、銃をすぐに構えられるようにと、身を守りながら相手の動きを監視する為。サングラスは視線を読まれていざこざがおきないようにとの事。ひとしきり写真をとった後、また2列になり次は青い建物の軍事停戦委員会会議場へ。と思ったら、そのままバスに戻ってしまった。ガイドさんも首をかしげてて、朝から会議が始まったとか、はっきりとした説明はなかった。会議場の中への見学は直前で中止になってしまった。そこは休戦ラインをまたぐ形でたてられていて、このツアーでもっとも38度線に近づき、かつ建物内では北側に行く事ができる。当然バスの中ではため息が…。残念でした。気を取り直しつつ、バスでその会議場の前を通過し、次は小高い丘にある警備所でバスを降りた。北側にある宣伝村や左には「JSA」の舞台となった有名な「帰らざる橋」や青い警備所が見える。この警備所は、もっとも危険な場所にあるということで、現在は無人でカメラの監視のみ。左はこの前撮った写真、右は去年撮ったもので冬で茂みもなく、ここからでも帰らざる橋が見えた。ツアーも終盤を迎え、この後は元のバスに乗り換えソウルに向けて出発する事となる。バスを乗り換える際に、これから板門店に向かう韓国人ツアーがもめているらしい。飲酒している人は見学できないのに、お昼に飲んでしまった人がいて連帯責任でツアーが中止になるとの事。韓国人は亡命の危険があるので、このツアーに参加するには申請を出したりと、許可が下りるまで半年から1年かかるそう。やっと参加できたツアーが中止なんて。その話を聞いたちいさんが一言「るうさんが、お昼にお酒飲まないか冷や冷やしてました。」と。。そこまで我慢できなかったら、わたし人間やめます(笑)帰りのバスの中では、途中で撮った集合写真を売っていた。会議場の前で撮影した様に見える合成写真まである!想像通り高いので買わなかった。帰りのバスの中、南北が統一する日が来て、またここを訪れる日がくるとしたら自分はいくつになって誰と来ているのかなと思いながら、緊張も解け、ぐっすり眠ってしまった。何もうみだすことはない板門店は維持にもお金がかかり、ツアーは貴重な外貨獲得とか。ツアー自体は一連の流れに沿って進行していくので、今回も特に命の危険を感じる事はなかった。但し、ここは何かあったら軍事的な最前線になるのは必死なので、無事に戻れて良かったと思う。数年前に知った事だか、祖父の働いていた会社の工場が今の平壌にあったので父親が幼いころ、終戦を迎えるまで数年住んでいたいた事があるそう。終戦後は歩いて韓国側に入り、船で日本まで戻ってきたそうだ。あの混乱とした時期に、兄弟5人と両親が離れ離れにならなくて良かった。と話していた。もしかしたら、この飲んべも生まれていなかったかも。ちょっと、どきっとした。【非武装地帯】軍事衝突を避けるために、軍事分界線(38度線)から南北に2kmずつの軍事施設を備えない地域。【板門店】非武装地帯内にある共同警備区域で、軍事停戦委員会の本部地域を中心に、直径800Mの範囲でJSA(共同警備区域)の事。【帰らざる橋】休戦以後に南北の捕虜交換が行われた橋。捕虜は自分の意志で南に行くか北に行くか自分で決め、その後は2度と帰る事が出来ない事から、そう呼ばれるようになった。