最近、2011年9月の「文化センターができたら?」という記事に、久しぶりにコメントを頂きました。この件については、一部の市会議員さんたちが、市長を批判するチラシを制作して家庭のポストに投函したり、特定の会派の支持者を名乗る市民の会が宣伝カーで「住民投票」を訴えていました。しばらく見なかったのですが、昨日、所要のため駅の方に行くと、真新しいのぼりが目に入り、宣伝カーも走っていました。
何か違うと思います。文化センターはもともと「合併後、約15万人都市になる古河市を、恥ずかしくないものにするために作ろう」というお話だったと思います。将来の市を輝かせる希望の象徴として扱ってこられたのです。議会はこれを重んじて、市民の代わりにきちんと議論を尽くす責任があるのではないでしょうか。それをせず市民に判断を任せたほうがよいはずがないでしょう。
「こんなに多額のお金がかかるから作るべきではない」と言われると、「そうかな」と思ってしまう人も少なくないと思いますが、合併特例債は9割返済不要なのです。この機会を逃す損失をどうお考えなのでしょう? この機会を逃せば、おそらく永遠にできないでしょうね。また、特例債は例えば「恵まれない人に配りたい」という名目では下りないのですよ。もらえません。ですから、この機会によくよく検討してみたほうがよいのではないでしょうか。
もちろん、文化センターは、建設しさえすればいいというものではありません。必要なのは「市の発展にどう活かすのか」という視点です。この意図を持つのと、いいかげんにするのとでは、設計から運用までたいへん大きな差になるからです。市も、議員も、市民も市を発展をさせるための意気込みをもって、アイデアをできる限り多く考え、出すことが成功の鍵だと思います。
つまり、「どうせお金を無駄遣いするだけだ」という固定観念を持っている人が減るようにするわけです。そして皆でどうすれば、発展・繁栄できるのだろうと考える。知恵を出し合えば、それに一歩近づけます。アイデアもなく不安や不満や怨恨などから反対するのでは何も生み出しません。文化センターよりよい発展策をご提案できるなら反対もよいと思います。ただし、他人の考えもきちんと理解するように努力したいですね。それをしないとエゴのぶつかり合いになってしまうから…