今日2月14日の新聞に、リコール運動のキャンペーンを張っていた市民団体と菅谷候補(現市長)に対して、当時の白戸市長サイドが起こした裁判が始まったという記事が載っていました。「文化センターの建設予定地には危険物が埋まっている」、「白戸氏が利益を得るのが事業の目的だ」、「建設費130億円の文化センター」などとした内容が事実かどうか、市民に誤解を与えなかったのかどうかが争われています。
これらの争点の評価は、今後の裁判で下されることでしょう。しかし、その決着がつくまで、何年間かかるかわかりません。その間、放置しておくのは、古河市の未来にとって決して望ましくないと思います。そして、さらに、どういう結果になるにせよ、報復合戦が続くことになります。そうなれば古河市は機能不全に陥り、その都度お金や人材が浪費されて、得られるであろう発展の機会が失われててしまいます。財政は悪化し、選択肢が狭まり、市勢が衰えてしまうおそれがある、私はそこに強い危機感を持っています。
「別に発展しなくてもいいじゃないか、現状維持できれば…」という考えの方もいらっしゃるかもしれませんが、そういう考えこそが衰退を招きます。なぜなら、「これから何が必要で、何をすべきか」という視点がないからです。つまり、お金をどうやって稼ぐかに目を向けず、使うばかりでは貧しくなるのは道理です。今まで生活できていた人がいったん失業し、弱者の側に回れば、財政に負担をかけるだけではなく、購買力低下から商業施設の撤退、利便性低下から人口の流出と、負の連鎖が現実になります。ですから、今、市民の一人一人が問題をもっと真剣に考えなくてはいけないと、私は思います。
逆に、発展のことを考えれば、仮に理想通りに行かなかったとしても、恩恵があります。それは個人の成功につながるということです。建設的・生産的・積極的に物事を見る習慣がつけば、その人は自らの人生でもそのように考えられるようになります。悲観的、批判的なものの見方しかできない人に比べて成果を出せる可能性が格段に高まるのは間違いありません。そして、本人が成功すれば、その家族も豊かになり、市にも財政的な貢献ができるようになります。その体験を子供や友人たちに伝えれば彼らも成功できます。輝く未来はそのようにして実現されるのではないでしょうか。
みんなが市の未来を良くするためにどうしようかと考えるようになれば、いつの間にか、自分のことだけを考える人はいなくなるでしょう。愛を持って安心して自分の使命を果たし、みんなに貢献することこそが、もっとも充実し、楽しいということに気づくからです。不安も辛さも解消して、みんなが笑顔で助け合うのが当たり前の幸せな世の中になると思います。そんな明日を想像してみてください。そして、それが実現できるのは、私たちだけということを忘れないでいただきたいと思います。