カテゴリ:声楽曲
98話、99話とベートーベンの作品が続きました。癇癪持ちと言われたベートーベン、交流のあった音楽家ハイドンとは喧嘩別れをしてしまったという話が残っていますが、弟子であったツェルニーをはじめ、シューベルトもほんの少しですがベートーベンとの関わりがあったようです。
シューベルト(1798-1828 ウィーン生)はベートーベンを大変尊敬していました。ベートーベンが27歳の時にシューベルトは生まれたのですから30歳近くもの年の差があります。同じウィーンで過ごしていたのだから互いにすれ違うことくらいあったのではないでしょうか。もしかしたら共通の知人がいたのかもしれません。 しかし、1822年にシューベルトはピアノ連弾曲作品10をベートーベンへの献辞を添えて出版した事を機にその作品を持ってベートーベンを訪ねましたが留守で会えなかったと伝えられています。 一方、1826年10月ベートーベンは病床についた頃、シューベルトの歌曲を知り彼は「この作曲家は本当の神聖な焔を持っている」と周囲の人に褒めたとのこと。しかしシューベルトは知る由はなかったのです。やがて死の数日前に見舞い客の中にシューベルトの姿もありました。 その次の年、31歳という若さでシューベルトも亡くなるのですが周囲の人たちには「自分が死んだときはベートーベンの近くに埋葬して欲しい」と頼んだそう。現在ウィーン中央墓地にはべートーベンとシューベルトの二つの墓が隣り合っています。 シューベルト17歳の時、「1814年9月19日」西洋音楽の歴史のなかでも、とくに重要な日付けのひとつとされています。それはこのゲーテの詩による最初のリート「糸を紡ぐグレートヒェン」が生み出されているのです。 この歌曲はゲーテの長編戯曲「ファウスト」からの詩によるものです。また、ゲーテ14歳の時に思いを寄せた少女、グレートヒェンが根底にあり、戯曲「ファウスト」では1部にてファウストとグレートヒェンを巡る悲劇の中での彼女の思い、苦しみを歌っています。マルガレーテ(愛称グレートヒェン)は糸車で糸を紡ぎながら、恋人であるファウストの顔や仕草を思い出し、心の高ぶりを歌います。口づけを思い起こす時、陶酔して思わず踏み板を止めてしまう、われに返り、再び作業を続けようとする、しかし心ここにあらず、そんな心境を的確に表現しています。 これまでバロック期からの音楽の主要な役割はその心情など、一つの曲の中ではパターン化された静的な感情のみ、状況や心情が事細かに描写されるだけでした。しかしシューベルトは、ゲーテの意をうけ、むしろ「心情の変化」を描いたのです。例えばしだいに興奮してまたわれに返るという感情の変化です。この表現はそれまでの音楽、少なくとも歌曲の世界ではほとんど描かれたことがなかったのです。
わたしの安らぎは去り、私の心は重く沈んでいます。 私は二度と、もう二度と心の安らぎを得ることはありません。 あの方がいない所なんて、私には墓場も同然です。 世の中の全てが私には苛立たしいのです。 私のできの悪い頭はおかしくなってしまい、私のみじめな心は粉々になってしまいました。
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Last updated
June 21, 2011 07:27:23 PM
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