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『鮎の川』
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母、揚雲雀とおつきあいいただいていた皆様にご報告いたします。
母は今年、2月3日、節分の日に空へと旅立ちました。 ご報告が遅れたことをお許しください。 家族全員、母が亡くなった実感が湧かず、慣れない葬儀や法事にあたふたしておりました。 先日、四十九日を迎え、ずっと先延ばしにしていた皆様へのご報告をしなければとペンをとりました。 難治性の病気を患って、入退院を繰り返していた母ですが、好奇心が旺盛で、前向きでした。 ほとんど外出ができなくなってしまった近年もホームページ(今ではブログですね)を通じて全国(アメリカにまでも)に友人をつくり、自分が行けない外の世界に触れて生き生きと過ごしていました。 パソコンを始めた頃は毎日のように子供たち(実子3人とその伴侶3人)に「パソコンが壊れた!」と電話してきて困りました(笑) 6人いるので誰かしらに電話はつながったのです。そして、もちろんパソコンは壊れてはいませんでした。 ホームページをつくり、友人をつくり、写真の加工を覚え(ネットのお友達によく教わっていました)、ネット用語も覚えました。 私は「カウプレ」という単語を母に教わりました。 俳句とインターネットが母の生き甲斐でした。 昨年末に入院しましたが、主治医の「危ないかもしれない」という言葉を覆し、年明けに退院しました。 母は入院のたびに、主治医の言葉を覆し、復活していたので(そのうち1回はまさに奇跡的な復活でした)、退院から10日で再入院し、また同じ言葉を言われた私達家族でしたが、 今度もまたきっと大丈夫と信じていました。 母が逝った日は、当地にしては珍しく雪の降る寒い日でした。 母はものすごい晴れ女だったので(自分が晴れてほしい間は天気予報も覆すのです)、こんな日に逝ってしまうはずはないと思っていました。 でも違いました。 母は、自分が空に昇っていく日を晴れにしたのです。 その日は雲ひとつない青い空でした。 さすがに「晴れ女」だねと笑いました。 「孫たちのことを見守っている。草葉の陰っていうのは嫌だから(笑)、空から見守ることにする」と以前言っていましたので、きっとそうしていると思います。 きちんとしていないと嫌な性格だったので、皆様への報告とお礼がこんなに遅くなったことはしかられてしまうかもしれませんが、私達のショックも大きかったのだということで、許してもらおうと思います。 皆様、今まで母とおつきあいいただいてありがとうございました。 心からお礼申し上げます。 追伸:くり坊は父の大きな慰めになっています。どんな日にも散歩は朝夕2回です(笑) 今日の拙い2句 節替り 病床の母 逝きにけり 揚雲雀 青き空へと 舞い上がり (冬と春がごっちゃですね) 雲雀の子1号より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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