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カテゴリ:黒ひょうさんの司法試験~論文編~
「守りの答案」とは、書くべき項目すべてに触れてはいるが、中身としては淡白にしか書いていないという答案のことをいいます(あくまで、僕の私見ですが)。
これと似て非なる「《勘違い》守りの答案」とは、よく分からない事情は無視して、基本事項のみ一生懸命書いた答案のことをいいます(これも、受験友達と話して感じた、僕の私見です)。 両者の共通点は、両者とも無理はしない・嘘は書かないというところです。 両者の相違点は、「守りの答案」は、よく分からない事情に対しても真摯に立ち向かっているのに対して、「《勘違い》守りの答案」は、よく分からない事情は無視するというところにあります。 さて、なぜ両者にこのような違いが生じるのか。 それは、何をもって「嘘」とするか、すなわち、「嘘」の捉え方の違いに起因していると思います。 僕が考える「嘘」(つまり、「守りの答案」が考えている「嘘」)は、基本に関して所与のものとなっている事項(条文やガチガチに固まっている制度等)について、間違ったことを書くことを意味します。 これに対し、「《勘違い》守りの答案」が考えている「嘘」は、知らないことを自分勝手に書くことを意味します。 ですから、「《勘違い》守りの答案」を頭に描いている人は、知らないこと=よく分からない応用事情を無視するわけです。 しかし、それでは、応用事項に振られた配点を根こそぎ落としてしまうことになります。 それでは、つたなくとも自分の頭をフル稼働させて何とか応用事項について自分の考えを答案に示せた人に比べて、相対的に沈んでしまいます。 ですから、応用事項完全無視は「守り」にならないのです。 こんなことを言うと、「応用事項に振られた点数を取りに行くことは攻めの答案じゃないのか」と思われる方もいるかもしれませんが、応用事項に目をつぶって無視する答案は、もはや「守りの答案」ですらなく、「逃げの答案」だと思います。 「攻めの答案」とは、書くべき項目についてすべて触れていることを前提に、各項目について内容も重厚な仕上がりとなっている答案のことをいうと思います。 つまり、書くべき項目は、「守り」であろうが「攻め」であろうが、書かなければならないわけです。 では、「守り」と「攻め」の違いは何かと聞かれたら、それは各項目に振られた配点をどれだけ取りに行くかといった点にあるのです。 つまり、「攻め」ではなるたけ多くの配点を取りに行きますが(そのため、例えば、憲法なら、論理を説得的なものにしたりあてはめを充実させたりするわけです。民訴なら、定義をコツコツと織り交ぜたりするのです)、「守り」ではすべての項目に触れることを意識して内容は無難なものにまとめる姿勢で臨むわけです。 また、応用事項について自分の頭で考えたことを書くことが怖いと感じる人も多いかと思いますが、そこは「応用事項なんだから、一応の筋が通っていれば許してくれる」といった考えで気楽に望めば大丈夫だと思います。 そもそも、応用事項なんだから、試験官は知識を聞いているのではないことを強く意識するべきです。 試験官は、受験生の見たことも聞いたこともない(はたまた学者の間でも未だ固まっていない)問題意識を提示して、どうやって考えるか?という思考を試しているだけです。 だから、現場で、条文や知っている基本事項を素材にして、ウンウン考えましたよ、ということを答案に示せれば、もう十二分なのです。 そこまでできれば、あとは周りができていないので、相対的に浮きます。 ですから、応用事項は「守り」であろうが何であろうが必ず触れること。 しかし、触れたら暴走しないで、基本から考える姿勢をアピールすることに留めること。 これが大事なんじゃないかなと思うわけです。 ということで、「守りの答案」を目指していたつもりが「逃げの答案」になっていたりしないように、気をつけてほしいなあと思います。 って、エラそうですが、僕も昔は逃げたり暴走したりイロイロ失敗してました。 あの頃は論文大嫌いになって大変でした(^^; ■追記■ 以前にも書いたと思いますが、僕は合格者の方に答案を見てもらうというゼミに参加していました。 そこで最も指摘されたことは、「応用事項を頑張りすぎている(=暴走している)」ということでした。 何度も何度も指摘されるうちに、自分の思考の癖というものが把握できていって、徐々に「基本をしっかり、応用は無難に」という思考に自分の頭を改造することができました。 ですから、今、論文の書き方に五里夢中の方でも、何度も何度も自省して、自分の悪癖を理解して、「それを修正するんだ」という意識をもってアウトプットを続けていけば、必ず自分の思考を変えることができると思います。 そのための近道としては、身近にいる合格者の人から、きついダメだしを頂くことです。 (特に僕はそうでしたが)人は自分に甘い生き物だと思いますから、自分で気をつけるのは限界がありますから。 「良薬、口に苦し」ということですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.07 00:05:47
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