凝り過ぎない文章のすすめ。
論文試験に向けていかがお過ごしでしょうか。論文試験では、是非単純な文章を書くように心掛けましょう。言いたいことが一見して分かる文章が最高です。難解な表現や文学的に素晴らしい表現は、司法試験ではかえってマイナスとなります。法律家にとって「いい文章」とは、「誰が読んでも同じ意味に捉えられる文章」であり、「誰が読んでも理解できる文章」なのです。修習の起案でも口すっぱく「分かりやすい文章を書け。」と言われますし。「試験委員なら分かってくれる。」という甘えは命取りなので、絶対に止めましょう。試験委員でも、分からないものは分かりません。それと、余裕があれば見出しを付けましょう(特に、民訴の一行問題)。見出しを付けると読みやすくなりますし、何よりも自分自身今何を書いているのかを意識できるようになり、自然と論理的かつ明瞭な文章を書くことができるようになります。あとは、「ワンセンテンス・ワンテーマ」。これは今更言わなくてもいいようなことなのですが、やっぱり大事なことですので一応書いておきたいと思います。修習で行う起案でも、これを意識した起案がいい評価を受けているような気がします。最後に、個人的に実践していたことを。それは、「…であり、~となり、○○ということになる。」といった文章を使わないということです。「であり」や「となり」で文をつなげると、前後の文の関係が並列なのか理由・結論なのか不明確となってしまい、読み手に分かりづらいと思ったからです。というわけで、僕は、「…であるから、~となる。したがって、○○ということになる。」といった文章を使うようにしていました。参考にしてください。さらに最後にもう一言。文章を書くときに持っていたイメージとして、「一歩一歩階段を昇っていくように、一文一文論理を積み上げていく」いうイメージがあります。一つの文により一つ論理が先に進んでいくという文章を書こうという意識です。これを意識しないと、文がいくつも書かれているのに論理が先に進んでいなかったり、文が少ししか書かれていないのに論理が飛躍していたりしてしまいます。一文一文には意味があることを意識しながら、分かりやすい表現で論文を書いてきてもらいたいです。