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カテゴリ:心に響く 大好きな言葉
先日ご紹介した柳生石舟斎の息子、
柳生但馬守宗矩は、 高名な沢庵禅師について禅の修行を積み、 「剣禅一如」 という言葉を残しました。 くろの座右の銘の一つです。 剣も、禅も、極めれば同じ境地に達する という意味です。 確かに、最終目的を考えれば 一見相反する、剣と禅ですが、 きわみに到達した人の境地は もしかしたら同じなのかもしれないと くろは思っています。 いわば、エベレストを北壁から登るか、 南壁から登るか、といった感じでしょうか。 たとえば、最先端の脳科学と、宗教。 最近は脳の機能から人間の心を紐解こうという試みが 盛んになってきています。 宗教の最終目的も、 結局は人間の心を紐解いていくことだと思います。 人間の心に対し、科学的なアプローチは えてして批判されがちですが、 本当に科学的につきつめていけば、最終的には 宗教と同じような領域に入ってくるのではないかと 思っています。 「存在とは何か」というような根源的な問いにも、 宇宙の創生ビッグバンから 科学的に思いをめぐらすこともできれば、 自分の心の奥底をひたすら考える事から 哲学的に答えを見つけていく過程も ありえると思います。 えー、なんだか自分でも何を書いているのか 分からなくなってきました。 剣禅一如 分かりやすく言うと、くろはこの言葉を 「人間はどんな事からでも学ぶことができる」 或いはちょっと拡大解釈して、 「現状から逃げず、頑張っていれば必ず何かを掴める」 ということではないかと考えています。 やりたいことは人それぞれ、 アプローチのしかたも人それぞれ、 なんでもいいんです。 どんな道であれ、 高くまでのぼってやればいいんです。 そこには必ず、 何かがあるはずです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月20日 02時02分09秒
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