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くろの旅

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失敗だ。

Keithの厚意を無駄にし、そして、来年名前を貰うという夢も、潰えたのだ。
体中からガックリと力が抜けた。
Keithになんと言って謝ったらいいのだろうか。

しかし、Keithは双眼鏡でMountain Goatの動きを追い続けている。
私も逃げていくMountain Goatの姿にもう一度視線を移した。
すると、動きが何かおかしい。
素早く逃げ去ればいいのに、ゆっくりと歩いている。
後足が痙攣しているようにも見える。
そしてとうとう座り込んだ。
驚いたことに、2年ぶりに撃った初めての銃弾は、
350ヤードも先の標的を射抜いていたのだ。

いぶかしげにMountain Goatを見つめていた私に、
ようやく双眼鏡から目を離したKeithが声を掛けてくれた。
「おめでとう。よくやった!」
固く交わした握手は、Tlingitとしての第一段階の終了証のように思えた。
私は笑っていたのだろうか。
それとも、その重責に表情を硬くしていたのだろうか。

複雑な思いが交錯する。
命を獲った喜びと、命を獲った悲しみ。それは動揺にも似ていた。
頭では分かっている。食べるために命を獲ることは、正しいことなのだ。
しかしこの感情はなんなのだろう。
神々しく輝く純白の美を、私は一つ、この世から消し去ったのだ。

「追ってはいけない。死を迎える時間が必要だからしばらく待とう」とKeithが言った。
手負いの状態で刺激すると最後の力を振り絞って逃げ去り、
結局は回収できないという現実的な理由もあるのだが、
私には、それは死にゆくものへの最後の敬意と思われてならなかった。

座り込んだMountain Goatは、こちらに顔を向け警戒していたが、
やがて頭を上げ、正面を見つめた。
同じように私も顔を上げてみると、
そこには、美しい雲がたなびき、
高く連なる山々の麓に黄色く色づき始めた森、
その下には青々とした湖が静かに横たわっていた。
生涯最後の景色を、どんな気持ちで見つめているのだろうか。
命を奪うものへの憎しみ、天寿を全うできなかった怒りは、
最期の瞬間まで渦巻くものなのだろうか。
それとも、この景色のように静かに澄み切ったが心で満たされるのか。

どこまでも広がる雄大な景色を見ながら、
不思議と湧いてくる涙を私は必死にこらえた。
私の感傷など、この景色の中でなんの意味も持たず、
それを超越したところに、本当に大切なものが存在しているように感じたから。

しばらくしてから、我々は仕留めた獲物を回収しに向かった。
Keithは万が一、Mountain Goatが逃げ出したときのため、もう一発、弾をこめた。
180ヤードまで近づくと、なんと、再び頭を上げてこちらを見ていることに気がついた。
そして150ヤード。
驚いたことにヨロヨロと立ち上がるとゆっくりと歩き出した。
私は一発で仕留めてあげられなかったこと、余計な苦しみを与えてしまった事に、
本当に申し訳ない気分で一杯だった。

再び轟音が響き、Mountain Goatは岩棚の上を真っ逆さまにと転落していった。
Keithがとどめの一発を撃ち込んだのだ。
しかし、岩棚の突端、足を踏ん張ってすっくと立ち上がると、
こちらを一度見て、岩棚の向こうへと消えた。

消えた姿を探し回ったがなかなか見つからない。
ずっと下に降りていったKeithが口笛を吹き、私を呼んだ。
どうやら、何百メートルも下まで、転落していたらしい。

必死にKeithの元へと向かった。
気ばかりが焦り、足がもつれる。できるだけ早く降りたいが、転落しては元も子もない。
もどかしい時間だった。
途中、岩場に転々と残る血痕を見つけた。
ドロリとした濃い血だった。
私はその血を少し指に掬って舐めた。
なぜだか分からない。
岩場を転げ落ちたMountain Goatの痛みを私も味わいたかったのかもしれない。

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ようやく出会えたMountain Goatは思ったより大きく、ふくよかな体をしていた。
折れてなくなってしまった右の角が岩場を転落し続けた衝撃を物語る。
私は手袋を外し、首に、顔に触れた。暖かい。
ふかふかの毛皮に鼻を埋め、思い切り吸い込むと、
土の匂い、しかもどこか懐かしい匂いがした。
思い起こすと、田んぼの匂いだということに気付いた。
太陽と土と草の香りだ。

Keithがショックなことを教えてくれた。
実は、メスだったのだ。
しかし、オスばかり撃ってはバランスが悪く、
たまにはメスも撃つ必要があるのだと慰めてくれた。
私が申し訳ない、と言うと、
それは命を与えてくれたものに対して言ってはいけないことだ、と諌められた。
「これは最早ただの肉だ。」
確かにその通りなのだが。

体を裏返すと、銃痕があった。
あばらは折れ、内臓からは血が少しずつドクンドクンと吹き出していた。
私は目を疑った。
彼女がKeithに撃たれ岩棚を転げ落ちながらも、
踏み留まり、毅然と立ち上がった姿が確かに目に焼きついていたから。
こんな重症を負いながらなぜそんなことが可能だったのか。
凄まじい力。
命とはそんなに強いものなのか。
私の命も、果たして彼女と同じだけ力を持っているのだろうか。

抱えようとしてみたが、全く持ち上がるような重さではなかった。
一体何キロあったのだろうか。
Keithによると、100キロは下らないという。
足場の悪い急な坂で、獲物を抱えて運ぶのは不可能だ。
山の裾まで転がして落とすことにした。
背中を押すと、勢いを増しながら転がり落ちていく。
首が、足が、有り得ない方向に
ぐにゃりぐにゃりと曲がりながら物凄いスピードだ。
その姿を見ているのはとても辛く、
途中、大きな岩に頭が激突すると、
思わず「痛っ!」と声が出てしまう。
しかし、これはもう、ただの肉なのだ。
殺した以上、私はこれを運び、皆に振舞う義務がある。
他に選択肢がない以上、突き落とし続けるしかない。
私は何度も何度も、岩棚に引っかかって止まった
Mountain Goatの背を押した。

次第に斜度が緩くなり、これ以上転がして落とすことができない場所まで来たため、
内臓を取り出して軽くすることになった。

ナイフを、仰向けにした胴体の胸骨の最上部あたりから入れ、
慎重に下腹部に向かって裂いていく。
肛門まで切ると、中心線から左右へと皮を剥いでいき、腹部の肉を大きく露出させた。
次に、胸骨の最下部からあばらの一番下の骨に沿って、
肉と内臓の隙間に右側だけナイフを入れていく。
肛門付近まで開腹した状態で右側の前後の足を持ち上げると、
内臓が一気に地面に溢れる。

大方の内臓は摘出したが、
あばらの内側にはまだ色々な器官が残っていた。
Keithは「全ての内臓は背骨にくっついている」という。
背骨付近にナイフを沿わせて、更に掻き出す。
それでも出ない部分は、肛門からナイフを入れ、直腸を切り抜き、
胴体側から腸の先端を引き抜き、作業は終了した。

山の裾野の平坦な部分は鬱蒼とした針葉樹の森となっていて、
先ほどよりは軽くなったとはいえ、まだ重量のある体を引きずりながら進む作業は苦痛だ。
「狩をするまでは楽しみ、そこからは労働が始まる。」というKeithの言葉が身に沁みた。

ようやく降り立ったHighway。
見上げると既にどっぷりと暮れた空に一面の星が煌いていた。

家に戻ると、Keithの彼女のDonnaも合流し、
「今日、狩が成功することは、最初から分かっていたわ!」と
狩の成功を抱き合って喜んでくれた。
血だらけの服を着たままの我々に、彼女が言った言葉が
「You guys stink! Good, though!」
これほど暖かい言葉があるだろうか。

こうして、私にとって非常に意味の深い、長く濃い一日が終わった。

体は疲れ果てていたが、心地よい。
酷使した体は「道具」としての体。
動物を解体するナイフの切れ味がすぐに落ちてしまうように、
握力は萎え、膝はガタガタになる。
腰も痛い。
でも、それはとても正しい気がする。
人間の体は、日々の糧を得、充足を得るための「道具」に過ぎないことを思う。
道具は、磨り減る。いくらメンテナンスを繰り返しても、いずれは壊れる。
この体もまた然り。
願わくば、道具としての私の体が、何かの役に立ち、壊れて解体された暁には、
きちんと再利用され、自然に帰りますように。

そして、今日私が初めて仕留めたMountain Goatの体もまた、
皆に幸せをもたらしてくれるよう、
きちんと利用させてもらわなくてはならない。

狩はまだ、終わってはいないのだ。






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最終更新日  2009年10月02日 17時29分21秒
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