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カテゴリ:ファンタジー
「チャーリーとチョコレート工場」 Charlie and the Chocolate Factory 2005年アメリカ映画 監督 ティム・バートン 出演 フレディ・ハイモア ジョニー・デップ ヘレナ・ボナム=カーター クリストファー・リー いまさら説明する必要はないでしょう。ジョニー・デップ=ティム・バートンの名コンビによる大ヒット作です。ティム・バートン監督お得意のブラック・ユーモアがあふれています。 奇想天外なファンタジーです。 とりわけ、ウォンカ(ジョニー・デップ)のチョコレート工場の描写は、秀逸です。 すべてがお菓子で作られた原色も毒々しい庭には、チョコレートの大河が流れ、その上を特大なゴンドラで進み、ナッツの選別場には大量の本物のリスが並び、上下左右自由に動く透明なエレベーターで移動し、わけのわからない仰々しい機械で、新型のガムを作り、実物のチョコレートをTVの中に電送し、そして、その従業員は、ウォンカがどこか山奥のジャングルから見つけてきたという、すべて同じ顔をした、100人以上はいるであろう、ウンバ・ルンバという小人たちオンリーです。 とにかく、ファンタジーですから、工場の中広すぎない?とか、お菓子の庭やチョコレートの川なんて衛生面はどうなってるの?とか、あの大量のリスたちをどうやってしつけたの?とか、あのエレベーターの動力はどうなってるの?とか、そこで失格する子の名前やその場の状況を盛り込んだ歌と踊りをウンバ・ルンバたちはいつ練習したの?とか、なんでウンバ・ルンバたちはみんな同じ顔(せんだみつおか、めざましの大塚さんか、という顔です。)なの?とか、あの電送装置のメカニズムは?とか、あの負けん気バリバリガム少女はあんな紫のゴムゴムになっちゃって大丈夫なの?とか、あの凶暴屁理屈ゲーム少年はどうして生きてるの?とか、そういった突っ込みはナンセンスでしょう。 最初の、“イッツ・ア・スモール・ワールド”ばりの仕掛け人形たちが、グロテスクに燃えていく様をアップにするところや、性格の良くない子どもたちが次々と残酷な目に合って失格していく様は、さすがティム・バートン監督ともいえる、グロテスクさですが、異世界のチョコレート工場の、まさに夢のような、ありえない描写を、素直に楽しめばいいと思います。 とりわけ、そんな中でも異彩を放っているのが、ウンバ・ルンバの歌と踊りですね。その時失格した子どもたちの何がいけなかったのか、どうなっちゃったのか、そういうことを歌って踊っているのですが、その衣装も曲調も踊りも毎回違い、非常に楽しい限りです。はっきり言って、変人社長ウォンカも思いっきり食われ、彼らの独壇場です。 しかし、ウンバ・ルンバたちというのはどうして、みんな同じ顔なのでしょうか、しかも、スカートスーツを着た秘書のような者もいたのですが、あれって女性なのでしょうか、男女ともに、あの顔なのでしょうか、謎です。 誰か、ウンバ・ルンバの生活とかを描写したドキュメントとか作ってくれないかなあ、と思いました。(もちろん、チョコレート工場に来る前のジャングルの生活の話ですよ。) ところで、この物語は、ファンタジーなチョコレート工場の可笑しさを楽しむだけの、脳天気な物語ではありません。実は、感動的なテーマがこの物語には有るのです。 そのテーマというのは、家族愛です。 そもそも、このウォンカ変人社長が、選ばれた子ども5人だけを招待した謎のチョコレート工場見学ツアーは、自分の頭に白髪があることを発見したウォンカが、自分が年を取ってきたことにショックを受け、家族がいないことから、工場の後継者をとなるべく、性格のいい子どもを選ぶことが目的だったのです。 そして、選ばれたのは、すべての観客が予想した通り、主人公のチャーリー(フレディ・ハイモア)でした。彼は、傾いたボロボロの家に、寝たきりの4人の祖父母(寝たきりの割には4人とも長生き、今回チョコレート工場の見学が当たったと聞いて、なぜか非常に元気になってしまい、見学に同行する、父方のジョーじいさんも含む。)、歯磨き粉工場で働く薄給の父、少ないお金を何とかやりくりしてキャベツのスープを作り、4人の老人の世話をする母(ヘレナ・ボナム=カーター)と暮らしている、極貧一家の子でした。今回の工場見学ツアーも、年に1度の誕生日に買ってもらったチョコは外れ、ジョーじいさんのヘソクリで買ったチョコも外れ、拾ったお金で買ったチョコがやっと当たるという、運がいいのかなんなのか、よくわからない偶然で手に入れたものでした。 ウォンカの、「後継者になってくれ。」という申し出を、「家族を捨てて、」という条件のため、チャーリーは断ります。 厳格な歯医者の父親(元ドラキュラ・クリストファー・リー)により、幼少期から甘いものは決して口にできず、ドでかい歯列矯正器を付けられて育てられ、そのため家出してしまって以来、家族を知らずに暮らしてきたウォンカにとって、それは信じられない事でした。 その後、町で偶然再会(実はウォンカが会いに行ったとも思えますが)したチャーリーに、「お父さんに会ってみたら?」と勧められ、ウォンカは、さびれた町で周りの家がみんな引っ越してもかたくなに同じ場所で歯医者を営む父に、会いに行きます。 数十年ぶりに息子に会う父は、ウォンカの活躍が載った新聞記事を大切に壁に貼り、顔を見てもわかりませんでしたが、歯を見て自分の息子であることを瞬時に理解するほど、息子のことを思っていました。 そうして父と和解したウォンカは、「家族と一緒なら」というチャーリーの条件をのみ、新しい家族とともに、またチョコレートの製造に励むのでした。というお話なのです。 ウォンカの、はっきり言って意地悪な後継者選びに選ばれるほど、チャーリーが素直でいい子に育ったのは、貧しいながらも家族を大切にする家庭で育てられたからです。 だからこそ、そんないい子がいい思いをするのは、決して偶然ではなく、必然なのです。彼は、選ばれるべくして、選ばれたのです。そして、わがままいっぱいに育ってきた他の4人の子どもたちは、悲惨な思いをして、敗北してくのも、また必然なのです。 その上、自ら選んだとはいえ、家族を知らずに成長してきて、すっかり歪んで変人になってしまったウォンカ社長も、家族愛の大切さを知ることができたのです。 派手で、奇想天外なチョコレート工場の描写に目が行ってしまいがちな物語ですが、実は、非常に感動的で、心温まる、いいお話だったのです。 ところで、いつも毒のある悪女ばかりやっている、ティム・バートン作品の常連、ヘレナ・ボナム=カーターですが、今回は、控えめでしっかりものの、優しいお母さんを好演しています。こういう演技もできるんだな、と感心してしまいました。(なに、上から目線だよ!!と、自分で突っ込む。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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