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カテゴリ:たまにはマジメなハナシ
知人が沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」で語り部をしている元ひめゆり学徒の方にこう聞いたそうです。 「あなたたちは何故自決しなければならなかったのですか?」 すると、意外な答えが返ってきました。 「私は絶対に生きようと思いましたよ。」 なぜ彼女は他の学友のように、決して死のうと思わなかったのか? 「移民帰りの人たちにアメリカがどういう国なのか聞いていましたし、日本は絶対に負けると思っていましたから。だから、天皇陛下のために命を捧げようなんて思わなかったですね。」 当時、ほとんどの生徒は皇民化教育(大日本帝国の支配地域において、その主権者とされた天皇を中心として大日本帝国への忠誠を要求した教化政策。日本民族への教化政策であると同時に、植民地および占領地域の諸民族(朝鮮人、台湾人、アイヌ人、琉球人、南洋群島や東南アジアの先住諸民族)に対して行われた強制的な同化・教化政策である。皇民化政策とも言う。主なものは日本語の強要(日本軍にとって意味のわからない方言は脅威だったらしい。方言を使うものはスパイ扱いされた。)、日の丸・君が代の強要、天皇崇拝の強要などがあり、子どもたちにそれらを植え付けるための教育がされた。)によって、神国日本は絶対に負けないと信じ込まされ、天皇のために命を捧げることを当然のこととして戦場に投げ込まれ、そして命を落としていきました。 少し前に大問題になった沖縄での集団自決ですが、実は対照的なガマの話があります。 読谷村にあるチビチリガマとシムクガマです。 読谷村は沖縄本島で最初に米軍が上陸した場所です。ガマの周辺は一面のサトウキビ畑で、森山良子さんの「サトウキビ畑」の歌がぴったり合います。サトウキビ畑を吹き抜ける風の音しか聞こえず、過去の歴史と併せて寂寥感を増します。 このガマでは、中国戦線で殺戮の限りを経験した島民も避難していました。彼は自らが行った行為が米兵達によって自分たちに行われることを恐れ、ガマの中に火をつけて自決しようとします。 もともと皇民化政策による「生きて虜囚の辱めを受けず(要するに捕虜になるくらいなら自殺しろ)」という考えが徹底されていたため、ガマの中では自決派と生き残りたい派が骨肉の争いをしたそうです。 結果、燃えさかる炎の中、84人もの人が鎌や鍬で殺し合い、業火に焼かれて死んでいきました。まさに地獄の光景だったことでしょう。このガマではまだ犠牲者の遺骨も残っているため、遺族の意向で中に入ることはできません。 入り口の碑には、 「「集団自決」とは「国家のために命をささげよ」「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」といった皇民化教育、軍国主義による強制された死のことである。」 と掘られています。集団自決が国家による殺人であることが明確に書かれています。 このようなまちがった教育をされ、間違った情報を流され・・・情報は人を殺すこともできるのだということを痛感します。 反対に、情報によって助かったガマもあります。シムクガマは、いよいよ自決かというとき、ハワイに移住経験のある方が米軍と住民との橋渡しとなり、彼を信じて投降した住民1000人が助かりました。 ひめゆり部隊生き残りの方やチビチリガマ、シムクガマの話を聞くと、情報というものの大切さと恐ろしさをつくづく感じます。 今、再び子どもたちに間違った情報が教育の名の下に伝わろうとしています。 どんなに大義名分を付けたって、武装した人間は人殺し以外できません。そして、どんなにいい人だって、武力を持って弱者の前に立つと鬼になります。 毎日溢れかえる情報・・・何が本当で何が嘘なのか・・・嘘をつく目的は何なのか・・・ 情報を享受できるあたしたちは、併せて真贋を見抜く目を持たないとならないですね。
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