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埋もれ火のアンソロジー

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2010.09.18
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カテゴリ:街道をゆく
西熊野街道

十津川街道

十津川街道

十津川

はじめて聞く地名だった。

奈良県の山奥だそうである。

三男がまだオムツをしていたとき

紀伊半島を何日かかけて車で走ったことがある。

伊勢神宮を参拝したが、

あの頃は神社なんて興味もなかったから

写真も撮ってないし、暑くて「はやく帰りたい」と

思ったことだけしか記憶に乗っていない。

でも、真珠で有名な英虞湾の先の志摩の

お洒落な木造の旅館?に泊まり

海のそばでなんとなく居心地がよくて2泊した。

それから

熊野灘沿いに走り

串本あたりで泊まり

また海沿いに走り

和歌山から岸和田に出て

運転手は俺ひとりだったから根性がなくなり

岸和田か泉大津からフェリーにのって帰ってきた。

瀬戸内海のど真ん中で

二男のかぶっていた野球帽子が飛んでいった。

あの時の「お父さん、何とかして!」という

二男の泣きながらの目での訴えは記憶している。





話がそれてしまった。

十津川街道だった。

実におもしろかった。

メモ

「遠つ川」

雲煙の彼方

人馬不通

大山塊

兵の貯蓄地~弓矢の戦力

楠正勝の慰霊祭(楠正成の孫)

北朝と戦った武将たち

南北朝時代

全村が武士~狩猟で生活

免租地~田んぼがないから

「十津川共和国」

独特の共同体がうまれる

置き捨てられたためにつくられた共和制

御赦免

山民(さんみん)


トチの実

トチの木だけは切ってはいけないという先祖からの言い伝え

飢饉で餓死者が出ていない


60の字が集まって「安堵」の世界をつくる


玉置山

玉置神社

修験者(しゅげんじゃ)=山伏(やまぶし)

都と十津川を結ぶ



1863年 天誅組騒動

天辻峠

高取城を攻める


明治22年 大水害


2600人が北海道へ移住

新十津川村を開墾


十津川村=母村(ぼそん)



昭和30年代 道路建設

谷瀬村の数人で大きな吊橋をつくる。

自分たちでつくるのが当たり前=公の意識


玉置大祭


山郷の歴史は凄まじい!by司馬遼太郎














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Last updated  2010.09.18 17:46:26
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