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カテゴリ:街道をゆく
国道54号線を「出雲街道」だと知ったのは 実は地図帳を見てからだった。 江の川にそって走っていたのだ。 予備知識がないのでただの「道」ただの「川」にすぎず とにかく霧が晴れる気配もなく時は流れた 吉田町 それは安芸高田市の中のひとつの町に過ぎないのだ。 司馬遼太郎は「街道をゆく」の中で 毛利元就と吉田町を熱く語っていた。 だが 僕が「吉田町」を知ったのは 1992年だった。 吉田拓郎が「吉田町の唄」というアルバムを出してるんだ。 正直このアルバムは1回聴いただけで終わったアルバムなんだ。 「引越し」は何度か聴いてたけど・・・。
吉田町の唄 吉田町では毛利元就像を見たらいいという 実に正統な観光的態度でのぞんだ。 しかしこれがみつからないんだ・・・ 司馬遼太郎の石碑は見つけたが 毛利元就像が見当たらない。 紅葉は素晴らしかった! 車をとめて紅葉を撮ろうとしていたら 年配の方が通られたので 「毛利元就公の銅像はどこにあるんですか?」 「ここをくだって左にまがったところじゃよ」 「ああ、もっと下なんですか?」 「うん、そこをくだって左にまがったところじゃよ」 「それにしても霧がすごいですね~」 「11時くらいになったら晴れる」 「毎日こんな霧なんですか」 「11時くらいになったら晴れる」 「三次市からずっと霧でしたよ」 「11時くらいになったら晴れる」 「ありがとうございます」 「そこを左にまがったところじゃよ」 毛利元就についての知識は ほとんどなし! なんだか集会所のような宿泊施設のような入り口にあって もうちょっと建てる場所を考えたらとも思ったが 町の人が話し合った上でのことだから文句は言うまい! 吉田町にはかなりの時間いたのかもしれない・・・ 吉田町をはなれた頃から急に睡魔に襲われた。 で、 川沿いの空き地に車をとめて眠った。 11時に目が覚めた。 空は11月の見事な青空だった。 「11時くらいになったら晴れる」 あのおじさんの言葉通りだった・・・。 超貴重スライドショー (注)「出雲街道」とスーパーマップル道路地図には書いてあったが 検索してみたら出雲と姫路を結ぶ街道のようで 三次市とかは通ってない・・・。 もう少し勉強します・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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