○ストーリーは、嵐の夜、ひょんなことから友達になったオオカミのガブとヤギのメイ。ガブはメイを食べたい欲望と闘いつつ、絆を深めていく。だが互いの種族は2匹の仲を認めず、ガブとメイは自由を求めて旅に出ます。
○子供向けということで内容的には健全とされていますが、私が文部科学省の大臣だったら有害図書に指定しますね。道徳として微妙に間違ってる気がします。
本来、食う者と食われる者同士がその垣根を越えて友情を育むという子供向けだけあってわかりやすいストーリーです。「あっしは人間の肉が一番きらいでやんす!」と言うロメロのゾンビとお友達になるようなもんですね。
まあ、いわば究極の友情といっていいかもしれません。でもやっぱり博愛にも限度があると思います。食物連鎖をこえた博愛はどうでしょう。食べるというのは生きていくために必要不可欠な業です。食べる対象に愛着を持ってしまえば食えません。それほどの博愛主義者なら対象に差別はしないでしょう。動物全般、つまり肉類は一切とらないということになる。人間生きていくためには動物性タンパクは必要です。米国産牛肉の輸入が再開されるこの時期にこの映画はなに言ってるんでしょう。
この映画を見ている限り、メイを食ってしまうことは「悪いこと」という印象を与えてます。ラストもガブはメイを食うことなく仲良く暮らすわけですが、ガブにとっては生きることを否定されたようなものです。それでは他の動物を食えばいいというのもこの映画のテーマから外れてしまうわけです。もっともこの映画は種族を超えた友情だけでなく自己犠牲の尊さやなど描いているわけですが、それはサブミッションに過ぎません。
メイやガブの行動は自分たちだけでなく種族を崩壊させてしまう可能性だってはらんでいます。この映画でガブとは明らかに霊長類の頂点に立つ人間の立場でしょう。メイの立場は牛や豚や鶏、朝鮮人中国人にとっては犬や猫まで入ります。生きている彼らを食べるということはたしかに残酷なことかもしれません。それを「残酷だ」と描いてしまう姿勢に疑問を禁じ得ません。
やっぱりラストでガブはメイを食ってほしかったようにも思います。生きるためには仕方のないことなんだということを子供たちにも教えてあげてほしかったです。人間たちが食べられることに対する感謝の気持ちを伝えてやるべきじゃなかったんでしょうか。動物を食うことを否定したところでそれに対する代替策が提示されているわけじゃない。
食う者と食われる者の友情という設定はコメディネタとして使うならよかったかもしれません。しかしそれをマジで美談にされてしまうと大人の私たちとしては「ちょっと違うだろ」と思ってしまうわけです。ラストは美しく幕を閉じてますが、ガブはそれからどうやって生きていくんだ?という話になります。これを見た子供がそんな疑問をぶつけてきたら大人たちはなんと答えればいいんでしょう。最近の子供たちはアニメやテレビゲームから物事を誤解して認識しているふしがありますから注意が必要かと思います。
いきすぎた博愛がゆがみとなって社会にでてくることだってあるわけです。この映画を見た小学生が「僕は金輪際、お肉を一切たべません。肉屋の友達とも縁を切ります。動物を殺す人たちなんて死刑にしてほしいです」なんて作文に書いたりして。今の世の中ホントにいそうだ。
と、たまにはうがった見方をしてみました。それを度外視しても映画館で見るほどの映画かなあと思います。
声優も可もなく不可もなしでしょうか。だけど話題性のために門外漢の有名人を声優として起用するのは疑問です。ちょい役ならいいんですが主役クラスに当ててしまうのはあざとい気がします。竹内力さんの声はほどよくマッチしてましたけど。
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