あなたのすべてを受け入れる
たとえば、本当にしてはいけないことがあったとして、でも、それがどうしてもしたいという欲求に駆られたら、どうするか。だれでも、まず自分の欲求を抑え込もうとするだろう。でも、実はそれはもっとも愚かな、間違った対処法だ。第一に、抑え込むことで欲求がなくなることはない。なくなるどころか、ますます手に負えなくなるだけだ。ときが解決する、というような代物ではないのだから。そこで追いつめられた人が、つぎに取る手段は、「鈍感になること」そうやって、彼らは人生のあらゆる事に鈍感になる。歓びにも、悲しみにも、痛みにも、愛にさえも…!それは、生きているようにみえて、実は死んでいるのと同じだ。けれども、彼らはこう言い訳して自己正当化する。「人生なんて、こんなものさ。愛なんて、くだらない。 俺はすべてのことから超越したんだ。」このような生き方は、彼らを愛する人たちを悲しませ、傷つけるが、彼らは、そんなことは意に介さず、他人が不幸になることにもおかまいなしだ。このような状況に陥ると、そこから抜け出すのは困難だ。時間が経てば経つほど、ますます抜け出しづらくなる。悲しいことに、これが多くの人の現状だ…では、どうしたらいいのか。問題を真に解決できる、唯一の対処法はこうだ。自分の欲求を100%解放すること。そんなことをしたら、してはいけないことをしてしまうではないか!と思われるかもしれないが、実は物事はそう単純ではない。欲求というのは、抑え込むから手に負えなくなるのであって、完全に解放された場合は、「あるべき姿」に落ち着くだけなのだ。「してはいけない」という考え自体が、かえって、「したい」という欲求を引き起こす。ともかく善悪の判断をすべて捨て去り、100%自分の欲求を許してみてごらん!(それはとてつもなく勇気を必要とすることだよ。なにせ、自分を信頼しなければできないことだから。)すると、不思議なことに、なぜか、「できない。」人は、本当にやってはいけないことは、できないようになっているんだよ!そこに生まれるのは、思いがけない忍耐力。自分を抑えているわけではないのに、できないんだ。ちょっと「惜しい」気がするかもしれない。どんなにいけないことでも、一度やってしまいたかった!という思いが湧いてくるかもしれない。それを手放すときは、ちょっと心が痛いかもしれない。でも、それはある種のエクスタシーだ。これは自分を抑え込んでいる状態とは全く違う。自分を抑え込んでいるときは、自分自身の中の葛藤で疲弊して、エネルギーが枯渇するが、この忍耐の状態は、むしろエネルギーに溢れ、本当の強さが育つ。本当の意味で成長するんだ。自分で自分を信頼するのは、とても難しいかもしれない。でも、大丈夫だよ。私があなたを信頼しているから。私があなたのすべてを許すから。私があなたのすべてを受け入れる、と言ったのは、こういう意味だ。大丈夫。あなたは、本当にしてはいけないことは、決してできない。だから、安心して自分を許して。私がいつもあなたを見守っているから。もしも、あなたが「決してしてはいけない」と思っていたことができてしまったら、それは、本当はしていいことなんだ。神があなたにそれをすることを許した。だから、あなたは思う存分、それを楽しめばいい。いつもいつも心から愛しているよ。あなたが自分を抑えていると私は辛くなる。あなたが不幸なとき、まちがいなく私も不幸だということを忘れないで。