本当の正直さって…
息子が東横インの社長を気に入っている。とても正直だと言うのだ。 確かに記者会見では、「自分のやったことはたいしたことではない」という本音を丸出しにしていた。それは、その場しのぎのために、神妙に「まことに申し訳ありません」と、全く気持ちのこもっていない謝罪をするよりもはるかにましだ。 もちろん、記者会見後に彼は大変な非難を浴びたが、その後で受けたインタビューで、「少しもやましくなかったかったんですか?」と訊かれたときには、「やましいというのは、罪の意識と言うことですよね。罪の意識…あったかな~」と真剣に考えている様子だった。 人は、そんなふうにしか正直になれないものなのだ。 最初から、自分の心の奥底の真実を語れる人などいるわけがない。 少なくとも最初の入り口で、自分が意識できる範囲で嘘をつかなければ、それが相手の怒りを買うことはあっても、それによって自分もさらに意識の奥深くに入っていくことができる。 でも、そんなふうに他人とぶつかり合うことを怖がっていたら、決して真実にはたどり着かないのだ。 それなのに世の中には、面倒なことを避けるために、謝罪したふり、反省したふり、他人を思いやったふり、善人のふりをする人が多すぎる。 たとえば友人の真摯な助言に対して、心の中では「うるせえな。」と思っているのに、口では「ありがとうございます。」と言いつつ実はひとつも聞いていない人がいる。これでは何も変わりようがない。 このとき「うるせえな。」と本音を言えば、彼のことを本当に心配していた友人は激怒するだろう。その激怒の様子を見て、彼は「この友は、こんなにまで自分のことを思ってくれていたんだ!」と気付く。そして、彼は友人の助言に真摯に耳を傾け、彼の人生は劇的に好転するかもしれない。 本当に正直になるのは、実に難しい。 この世をまともにするには、みんなが正直になるしかないのだが、最初に自分が思い切って正直になったときには、周りは必ずあなたを非難するだろうし、その後間違いなく、ひと騒動起こるだろう。それは覚悟しておいた方がいい。 けれども、みんな正直になって本音を出し合うことで、最後にはお互いの間に深い理解と絆が生まれるのだ。その素晴らしさを一度でも体験したら、きっと、みんな、正直になることをためらわなくなるだろう。(本日のブログより)