第158回芥川賞受賞「おらおらでひとりいぐも」を読みました。
【内容紹介
74歳、ひとり暮らしの桃子さん。
おらの今は、こわいものなし。
結婚を3日後に控えた24歳の秋、東京オリンピックのファンファーレに押し出されるように、
故郷を飛び出した桃子さん。
身ひとつで上野駅に降り立ってから50年――住み込みのアルバイト、周造との出会いと結婚、
二児の誕生と成長、そして夫の死。
「この先一人でどやって暮らす。こまったぁどうすんべぇ」
40年来住み慣れた都市近郊の新興住宅で、ひとり茶をすすり、ねずみの音に耳をすませるうちに、
桃子さんの内から外から、声がジャズのセッションのように湧きあがる。
捨てた故郷、疎遠になった息子と娘、そして亡き夫への愛。震えるような悲しみの果てに、
桃子さんが辿り着いたものとは――
青春小説の対極、玄冬小説の誕生!
*玄冬小説とは……歳をとるのも悪くない、と思えるような小説のこと。
新たな老いの境地を描いた感動作。第54回文藝賞受賞作。
主婦から小説家へーー63歳、史上最年長受賞】
今、とても話題になっている本です。
夫も私もまだ桃子さんの年齢に達していないけれど
いずれ私が「おひとり様」になるか あるいは夫が「おひとり様」になるか。
それは遠い未来の話ではありません。
これから先の人生は これまでに比べたら残りわずかで
美味しいものを食べてもどこかに遊びに出かけても
今はまだ「冥土の土産ね」「老い先短いから楽しもう」
「余命幾ばくもないから今のウチ」と冗談のように使っています(^_^;)
74歳になったら 自分が桃子さんのようになっているかどうか
それもわかりませんが 桃子さんの言うように
「老いるということは 負けを承知の戦さ」という気持ちも
人とつながりたいという思いもわかります。
読みながら笑ったり、言葉がグサグサ刺さったり、私も同じよ、
と思いながら読み終えました。
東北弁で書かれているので「おら」は私で
「おらおらでひとりいぐも」は
「私は私で ひとりで行く」という意味でしょうか。
東北弁がわからないので 東北の人ならもっと共感できるでしょうね。
お国言葉って微妙な言い回しがあるので
これが私の故郷の山口弁だったら ドンピシャで理解できるんですけど。
夫とケンカしたり文句を言っても 相手がいるからこそですね。
いずれくるその時までね、そうなったらその時考えよう。