|
テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:家族
私の父は77歳で亡くなりましたが 生きていれば今105歳です。 広島の生まれで 終戦時は戦地にいたので原爆にあっていません。 父が書いたものが手元にあります。 「終戦の陛下の玉音は、朝鮮水原(スイゲン)飛行場で陸軍飛行第25戦斗隊にいた時。 広島は強烈な爆弾で廃墟と化したと聞かされ、部隊長を説得して南下、 馬山を経て普洲飛行場に駐屯、米軍の武装解除を受けた際、 まだ生き残りの特攻隊1組がいることがわかって、20年11月3日仙崎に送られた。 経理室の者7人と藤房商店の2階を借り、残務整理に当たった」 父は大学の経済を出て 満鉄銀行に勤務していたので 主計科だったのではないか、それで経理室の者と残務整理をしたのではないか、 と思うのですが 私は若い頃、父の戦争の話をちゃんと聞いてあげていないので 本当に申し訳ないことをしたと 亡くなってから後悔しています。 父の書いたものも、多分父は私に話したかも知れないのですが 私は何ひとつ覚えていないのです。ごめんなさい。 父は11月下旬、缶詰、砂糖、米を持てるだけ持ち、山口でお世話になっていた 代議士のお宅に行きました。 12月のある日、広島の妹から代議士宛に、広島市郊外の草津小学校に 母と一緒に収容されていると知らせがあり、もう広島の家族のことは諦めろと 代議士に言われていたそうですが 代議士の奥様は涙を流し手を握って すぐ行って2人を連れておいでと言われたそうです。 食料事情の悪い中、父の母(私の祖母)と妹(私の叔母)は 1年後に父が結婚するまで 代議士の庭の茶屋で生活しました。 祖母も叔母も被爆はしたけど外傷はなく、叔母も結婚し子供2人生まれ 80過ぎまで生きました。 父が書いたものは 代議士にお世話になった人達が感謝を込めて 先生を偲ぶために自費出版したということを小冊子を読んで知りました。 父の文章ももっと長いのですが 戦争の部分だけ切り取りました。 終戦記念日、いえ、敗戦記念日の昨日は 午後「この世界の片隅に」の 録画を見て過ごしました。 前から友人達が「すごくいいよ!」「見た方がいいよ!」と薦めてくれたのだけど 映画館で泣きはらして帰宅するのがイヤなので^_^; NHKで放映してくれて嬉しかった。 しみじみと考えさせられる、いい映画でした。 暗い戦争中でも クスっと笑える場面もあり、 知らないうちに戦争が始ってしまう恐ろしさを感じました。 アニメの絵がとても素晴らしくて、やはり映画館で見たほうが良かったな、と思いましたが 穏やかな広島弁、呉の港の風景の美しさ、普通の人達の普通の生活・・・ 結果がわかっている苦しさで泣けました。 もう戦争は2度と起こりませんようにと、心から願います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[家族] カテゴリの最新記事
|