|
テーマ:毎日の暮らしの中で(533)
カテゴリ:日々の暮し
学生時代の親友が亡くなりました。
あまりに突然でした。 9月27日の午前中LINEが届き、何気なく開いたら 彼女の娘さんからだった。 23日に大動脈解離で母が他界したと書いてあった。 唖然として言葉もなく、LINEの文字を見つめた。 また会う約束もあったのにどうすればいいんだろう。 イヤ、どうすることもできない。 びっくりしすぎて頭が回転せず。 18歳の時から親友だった。ずっと、今でも。 女子大の正門のところで 声をかけてきたのは彼女。 色白で小柄でほっそりして、長い黒髪を真ん中で分けた、 お人形のような顏をした京都の女の子。 教室に行くのに場所がよくわからないと言われ、 だから一緒に行くことになった。 京都のお寺の長女だったから 寮生の私は入り浸った。 ご家族との賑やかな会話、大勢で食べる京都のおばんざい。 彼女は4人兄弟姉妹で いつも誰かお家に人が来ていた。 障がいのある方達が お寺でお手伝いをしていた。 お父さんに可愛がって貰ったので、卒業して彼女がいなくても お家を訪ねた。 作家の角野栄子さんは、親友という言葉は女学生の頃みたいな べたべたした感じがして好きではないと言われていたけど 18歳で知り合って50年以上。 やっぱり親友という言葉しか思いつかない。 27日は ずっとぼんやりしていた。 頭が働かないので 失敗が多かった。 26日は名古屋にいたから、連絡が27日でよかったと思った。 27日の夕方、大阪の友達のウラちゃんに電話した。 「私は亡くなる2日前に電話で話ししたから ただもう驚いた。 香典とかどうする?一緒に何かする?」と言われたので 2人のお香典を代表で送るけど、お金だけ送るわけにいかないし すぐに手紙を書けないからちょっと待ってと言った。 全く、彼女はユニークで個性的だった。 40代に3人で伊豆に行ったことがある。 熱海に泊まり、修善寺に行き、虹の郷に行ったら 「やっぱり、家で気になることがあるから帰るわ」 「はぁ?帰る?ここで?今?」 「なんでやねん!」 その時のことを思い出して 「あの子、勝手やったな。お花畑の中を1人で帰らはったわ」 「うん。私じゃなければ50年も付き合ってないと思うよ。 この、寛容と忍耐のまめ子じゃなきゃ無理だ」 ほんまに勝手や、とあのお花畑の後ろ姿を思い出して2人で笑った。 笑うなんてこんな時に不謹慎だけど、笑えて良かった。 「あの子、1回やないで。宮島に行った時も 途中で帰らはった」 それは私、もう覚えてない(^-^; ドタキャンならわかるけど どういうつもりや。 幹事はいつも私なんだからね。 「まめ子ちゃん、軽井沢でもケンカして帰ってきたんやな?」 「そう。学生の時の夏休み。あんまり勝手だから頭に来て もういい、帰るわ、って。 あんたと、もう2度と旅行なんか行かへんわ、って言った」 それなのに、何度も旅行した(笑) 何故かほっておけない どうしてるかなと気になる相手だった。 連絡をくれて 電話していい? 聞いて欲しい話しがある、 まめ子ちゃんと話がしたいといつも言われた。 いろんなことを思い出す。 ブログは書けるのに、面白いことも言ったり書いたりできるのに 普通に出かけたり笑ったりしてるのに、ご家族への手紙は 白い便箋を見つめたまま書けなかった。 8歳年上のご主人は これから1人暮らしになってしまう。 何を書けばいいというのか。昨日、やっとの思いで書いた。 ウラちゃんがしみじみ言った。 「癌も怖くてイヤやけど、準備ができる病気やな。 突然は、本人も残された方も、たまらんな」 確かにそうだ。 母をみていて癌はイヤだと思ったけど 覚悟はできた。 今まで笑い話に「老い先短いから美味しいものを食べよう」とか 「余命幾ばくもないから 楽しんでおかなくちゃ」とか言ったけど その冗談が言えなくなってしまった。 中秋の名月で満月は7年先だから、生きてるかどうかわからない って言えなくなった。 「私みたいな花。都忘れ」と送信してくれていた写真。 可憐で楚々として ホントに彼女みたいだ。 都忘れの花を見るたび、彼女のことを思い出すと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[日々の暮し] カテゴリの最新記事
|