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テーマ:思うこと(3071)
カテゴリ:ニュース
先月 友人と2人で「金子みすゞ展」の帰りにお茶した時
「何故世界の紛争は終わらないんだろう。 どうなったら終わるんだろうね」 という話しになりました。 ロシアの軍事侵攻は2022年2月に始まり、 ガザ戦闘は昨日で1年になります。 ニュースを見ているのが辛いです。 「宗教が絡むと、私達、ますますわからないよねぇ」 「日本人って すぐ忘れちゃうじゃん。 アメリカは真珠湾を忘れるな、Remember Pearl Harborって 言ってても 日本人はすぐにアメリカ人が好きになったよね。 ウチの母なんて マッカーサーがカッコ良かった、とか 言ってたしさ(^-^;」 「忘れるってことは生きやすい部分もあるんだよね。 日本人って親切でお人好しだわ」 「山口の家の前に 進駐軍のアメリカ人が住んでたけど うちの家族は親しくしてたのよ」 「え?進駐軍 進駐軍って戦争直後にいただけでしょ」 はて?そんなに驚かれると、私は戦前から生きてるみたいだけど 年齢にサバよんでないです(笑) 団塊世代の生まれなので 戦争を知らない子供達よ 私の実家の前の川を挟んで、向こう側に勧業銀行支店長社宅が ありました。 明治時代には 農工銀行という特殊銀行だったそうです。 今はマンションになっています。 景観を損ねないためか 高層マンションではありません。 ここにね、アメリカの将校夫妻と金髪の女の子がいたんですよ。 勧銀支店長社宅は、元農工銀行支店長社宅でもあったわけで 車がターンできるロータリーがあり 洋間には暖炉があり 女中部屋と書生室がありました。 電話も、電話室と書いてある公衆電話ボックスみたいな造り。 勧銀支店長は次々に変わりましたが 同級生の女の子が 中学の時に越してきたので お互い仲良く行き来してたので 覚えています。 で、反対側にあるのが私の実家だった家。 近所はみんな、洋館と和館のある和洋折衷の家でした。 これが昔の写真。 今、建物の外観はそのままにリフォームされ、塀も変わって 持ち主の方がモダンにリフォームされています。 進駐軍は 勧銀支店長社宅だけでなく私の実家も見に来たそうで 勧銀支店長社宅に海軍将校が入居することになりました。 対応が紳士的で女性に親切だから 多分 母達も不安はなく 将校夫妻からはアメリカのクッキーや缶詰など頂いていたらしい。 私も アメリカのお人形を貰ったのだけど・・・ セーラーハットをかぶった水兵さんは 手足がひょろ長く 全然可愛くなくて 気持ち悪くて嫌いでした~ 工業のない山口市は、丘の上にゴシック教会や五重塔があり 戦争中も爆撃を受けていないし 飛んで行くB29の戦隊を 皆で外で眺めていた、と戦争の記録としてはノンキです(>_<) 母はね、自宅に骨董などいろいろあるのに、誉め言葉は 「上等舶来!」だったんですよ(^-^; 私は小さかったので おぼろげな記憶と聞いた話しがごっちゃに なっているのですが、県庁所在地の山口市には進駐軍が 駐在していたので それらしい雰囲気の家はありました。 「ねぇ、進駐軍っていつまで日本にいたの 日本は占領されていて独立国家じゃなかったのね?」 「確か昭和27年の中頃まで進駐軍はいたはずよ」 「あ~、それでわかった 主人が昭和23年生まれだけど、進駐軍が行進して行くのを 子どもの頃に見たっていうから そんなバカな、って 笑ってたんだけど 正しかったのね」 「そうよ、3歳か4歳の、正しい記憶よ」 先週、島田で3人でランチした時も 「ウクライナやガザだけでなく 世界のあちこちで内戦もあって ニュースで報道されないだけよね」 という話しが出ました。 一旦始まった戦争はなかなか終わらないのですね。 子ども達のことを思うと 1日も早く平和に過ごせる日が 来ることを心から祈ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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