東日本大震災中のわたし。
やっと私のパソコンが世界とつながりました。平和な関西の実家に来てもインターネットが出来ず、まだ続くのか被災地!って感じだったのですが。^m^のも先輩、ありがとうございました!結局パスワードは分からず仕舞いで・・。^^;あ。そう、今は三重県の実家にいるのです。ホントにホントにホントに、ホントに、いろんなことがありました。震災時は建物の2階から人を支えて逃げ出し大雪の中、山頂で津波にのまれていく町をただただ呆然と見ていました。家族4人はバラバラの所で被災、 ダンナさんは人を助け、娘は助けられました。安否不明で2日後に山道を越えて感動の再会をし、江戸的な生活を力強く子ども達と生きていたら、義父が疾風のごとく来訪、子どもたちを連れ去って、引っ越して最初に出来た友達、10年来腹を割って付きあえた無二の友が死んで、寒くて真っ暗、余震が絶えない家に1人で居たらおかしくなって、 3日間泣きっぱなし。それも、 感情の高まりで泣くという動的な涙でなく、 ただはらはらと流れる静的な涙、止まりませんでした。同時期に災害復興で不眠不休だったダンナさまも立てなくなって、彼の入院先でガソリンやスーパーに並んで、被災地仙台も経験して、 運転で人災起こしそうになって、でも私がしなくちゃで、 まるまこさんありがとう^^;ダンナ実家で落ち着かせてもらおうと思っていたら、福島原発で放射能値が高く、子供たちが危険だと言われ、 あんたたちが連れてったんじゃん!とツッコミ入れつつ、今度は原発の避難で750キロを1人で運転して、 吹雪の中夏タイヤで震えまくり、 何で夏タイヤ!?なツッコミは、ダンナさん宛で。^m^ 愉快犯なトラックにあおられ、子ども達が反撃して、スッキリして、そして実家に着き、現在まさかの転校手続き中。息継ぎナシで一気に来た感じ。この急展開の連続、頭おかしくなりそうです。ま、だいたいおかしいけど。^^;;;;;今こちらでは連日、親戚やたくさんの友人がお見舞いに来てくれます。被災地では、家族も家も助かった者として、「私たちがやらなくちゃ」という気持ちでいっぱいでしたが、今は、私たちは守られる側なんだなと実感しつつあります。これからが大変です。考えても何も見えず、途方に暮れます。津波の映像や友人のこと、ダンナさんの体や子どもの学校、今までのこととこれからのことがグルグルして、眠れない夜が続いています。でも、私は前を向く。津波で教えてもらった「家族一緒なら大丈夫」を胸に。核がある。これは強い。^^忘れちゃいけないことがある。伝えたいことがある。ブログもボチボチ再開しますね、また読んで下さい。