*心脳問題のポイント*その379*知性,論理,思考,意味,イメージ,本質,質,味わい,価値,心,意識,生物,社会,国家,自然,世界,宇宙,などの研究*
*心脳問題のポイント*その379*知性,論理,思考,意味,イメージ,本質,質,味わい,価値,心,意識,生物,社会,国家,自然,世界,宇宙,などの研究*抜粋;心脳問題のポイント1~5コンピュータを例えにすると、心脳問題におけるさまざまな実験結果や観察などがうまく説明されます。筆者は、かなりな昔から、心脳問題におけるモデルのひとつとして、コンピュータも用いてきました。例えば、モニタを意識に、情報処理の中枢をCPUなどに例える、といったふうに。その例えにおけるポイントのひとつは、「分業」でしょう。実際に脳も分業になっているようにみえます。たとえば、脳の中で、意識に関係ある個所以外の多くを失っても、変わらず意識は存在する、ただ、記憶、情報処理の仕方(思考力を含む)、能力など、に欠けがでたり変化したりするだけで、ということから、そういう印象を受けるわけです(要検証)。そこのところを解説していきます。ただし、脳をコンピュータに例えていいのかどうか、なんの保証もありませんが。そういうことなので繰り返しますが、それらは仮説のようなものであって、要検証です。まず、次の文献を挙げます。(1)<認識におけるマッハの原理(by茂木氏)から抜粋>>より正確に言うと、そのニューロンと相互作用によって結びついたニューロンの発火の連なり(クラスター)が、全体として「バラ」という認識をコードしていると考えられる。脳の中のニューロンは、一つを取り出しても意味がなくて、第一次視覚野からV2、V4、そしてIT野の「バラ」ニューロンの発火に至る、相互作用で結びついたニューロン発火のクラスターが全体として「バラ」という認識を支えているわけである。(2)<認識のニューロン原理(by茂木氏)から抜粋>>ケンブリッジ大学の神経生理学者ホラス・バーローが1972年に提案した、認識のニューロン原理だ。>つまり、私たちの心の性質は、どんなメカニズムに基づくにせよ、ニューロンの発火状態によってのみ決まるというわけである。これは、今日知られている様々な実験的証拠から考えて、妥当な仮定だということができるだろう。>高次の視覚野にいくほど、より複雑な反応選択性を持ち、受容野(視野の中で、そのニューロンを発火させることのできる刺激の位置の範囲)の大きいニューロンが現れる。(以上の抜粋は、茂木氏のサイトからのものです)以上とその他から発想したのは、コンピュータで例えるとして、「CPU+RAM+ソフトウェア+α」(ソフトウェアについては活性化して稼働しているものという条件がつく。活性化していないソフトウェアは単なる記録のようなものである。RAM内にあるものは活性化しており、ハードディスクなどの記憶装置内にあるものは活性化していない、と表現する)がどこかにあるのではないか、ということです。脳の中に情報処理の中枢部位がどこかにあって、その活動が、コンピュータでの例えとしての「CPU+RAM+ソフトウェア+α」として働き、脳のもつ情報を、例えとしてのハードディスクのシリンダ(トラック)のあちこちで参照しているようにみえます(そのソフトウェアはRAM上にあり、活生化していて働ける状態にあるとする)。あるいはそれに加えて、現在の状況にまつわるさまざまな情報をあちこちに記録しているようにもみえます。その中でも例えば、「>高次の視覚野にいくほど、より複雑な反応選択性を持ち」からも、そういった情報にまつわるその個人独特の情報(過去からの経験などによって身についた傾向・特質・性質といったようなもので記憶のようなもの)や、色覚についていえば色の恒常性を保つ情報源などといったもの(色覚以外にもいろいろあるでしょう)、を参照して、その情報(心的内容)を構成・生成していっているように感じます。あるいはそれに加えて、新しい情報・新しく生成された情報を記録していっているようにも感じます。つまり、そういったところのニューロンたちの発火は、情報処理の中枢部位がなさせているような印象を受けるということです。次に、リベットの実験からも、コンピュータでの例えの有効さがわかります。リベットの実験について、重要なものふたつを簡単に説明すると、ひとつは、(3)「人は自分が決断したと思ったコンマ数秒前に、すでに決断しているという結論がでてくる実験とその結果」、もうひとつは、(4)「人は、感覚などの体験を意識しないでおくこともできるし、コンマ数秒前に遡って意識することもできる(これは私の解釈です)という結論を導き出せる実験とその結果」もうまく説明することができる(後述)。さらに、(5)「一次視覚野が視覚情報の処理の出発点になっていて、それ以外の高次視覚野で情報処理をしても、最後に一次視覚野にその情報を戻さないと、あるいは、戻しても、一次視覚野の活動を抑制すると、視覚刺激の、主観的感知ができない、あるいは、判別能力が低下する、とまとめることができそうなふたつの実験とその結果」も、コンピュータの例えでうまく説明することができる(後述)。「(5)」のそのふたつの実験に関する記述(このサイトで知った)「以下引用」「「視覚刺激による一次視覚野の反応は、まず刺激を提示してから30ミリ秒付近で起こり、ついで100ミリ秒付近で起こる。このふたつめの反応がないと視覚刺激を主観的に感知できない」(Super et al ., 2001)「視覚刺激が提示されてから100ミリ秒後、つまり、一次視覚野から高次の領域へ行って帰ってきた時点で一次視覚野を抑制すると、視覚刺激の判別能力が低下する」(Walsh&Cowey,1998)」「以上引用」さて、なぜ脳をコンピュータに例えるのが有効なのか、論を進めるために、ここで、心脳問題を理解するための、コンピュータを例えにした、脳などのモデルを提示します。データを提示しながら行う個所があるので、そこはちょっといびつな表現になります。本来なら、データなどは考慮せず、脳をコンピュータに例えるところだけを行ってから、データなどの解釈を行えばすっきりと記述できるのですが。心脳における情報処理中枢(たぶん、いわゆる潜在意識だろう?)(定義によっては、潜在意識は潜在心と呼んだ方がより適切)は、「CPU+RAM+ソフトウェア+α」で例えられ、そこが複雑な情報処理を行っているが、そこの情報処理のようすや情報処理途中の情報は意識されない。意識は、モニタ(での現象)にあたり、モニタに「CPU+RAM+ソフトウェア+α」が情報処理し生成した情報が送り込まれ、モニタで意識内容が生じ意識される。モニタ(意識)は情報処理を行わない。その意識内容(または意識、あるいは両方)あるいは、意識内容を意識している状態・現象が心(顕在心)といえるだろう、この論の定義・用語においては。注)言葉を用いるところに生じる意識、というのは、知的操作感であって、それは、意識内容の一種、または、その意識内容を意識している状態+その意識内容、あるいは意識の一種、だといえるのではないだろうか。この論の定義・用語においては。注)クオリアについていえば、以上の流れの中では、次のように定義していいのではないだろうか。意識内容。または、意識内容の一種。あるいは、意識内容を意識している状態でのその意識内容。もしくは、意識内容を意識しているという現象とその意識内容。視覚野における、一次視覚野以外の高次視覚野などは、コンピュータで例えると、ハードディスクなどにあたり、「CPU+RAM+ソフトウェア+α」がアクセスし、情報を集めたり書き込んだりしている、と例えられる。一次視覚野も、ハードディスクで例えられるような機能をもっている可能性もあるが、情報処理中枢である「CPU+RAM+ソフトウェア+α」との連絡接合個所であるような印象も受ける。他にもそういった連絡接合個所はいくつもあるだろう。ハードディスクで例えられる脳の部分は、もっと広範囲にわたるだろう。データ不足なので、それ以上は解説できないが、他の感覚や感情、思考、想像、などにおいても同じようなことが行われていると推測されるので、ハードディスクにあたる部分は脳においてかなり広いだろう。(仮説のようなものであって要検証)私の「印象メモ;知性の器(心の器)、そのアクセスとニューロンの発火」から(以下引用)「コンピュータで例えると、脳のいくらか、から、かなりの部分がハードディスク+αであって、「CPU+RAM+ソフトウェア+α」がそれにアクセス(そのとき発火)して情報をかき集めたり書き換えたり書き加えたり記録したりしていっているようにみえるということです。コンピュータでも、記録場所としてはハードディスク+α上にある、レジストリや、記録場所、その他さまざまな個所の、読み出し、書き換え、書き加え、記録、などをやっています。それにそっくりにみえるということです。」(以上引用)コンピュータの主要部分による例えはだいたい以上ですが、その他の例えについては、後述します。次に、以上の例えを用いて、(1)(2)(3)(4)(5)をずばり理解する道筋を記します。まず、脳をコンピュータに例えれば、(1)(2)共に満たされる(だろう)、ということです。上述の記述によって、そこは確認できると思います。(3)(4)の理解。これも、分業がポイントのひとつになっている。モニタ(意識)に、生成された情報がはいるまでは、その情報は意識されない。たとえば、人が決断をしたと意識するのは、モニタ(意識)に決断の情報がはいった時刻においてであり、「CPU+RAM+ソフトウェア+α」の活動、「CPU+RAM+ソフトウェア+α」のハードディスクなどへのアクセス、などによって決断の情報が生成されるのは、それ以前だということが納得される(その時、脳波などに、決断時の特徴的な信号特性が現れる、と)。さらに、「コンマ数秒前に遡って意識することができる」という現象もそれで理解できる。(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません) 全部読む 全部読む 全部読む 全部読むこのブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。