卒業式。
学校のタグを使うのもこれが最後です。卒業式でした。ついに学生という身分が終わり社会にでる。期待・不安・寂しさ・虚無感とか色々な感情が混ざっている。卒業証書授与をしていて一人一人の受けとる姿を見ながらその人との思い出を振り返ってた。楽しかった思い出、苦しかった思い出、色々ある。好きな人、苦手だった人、興味ない人、いろんな風に感じた。そして、*さんや途中でやめていった人たちのことを思い出してとても切なくなった。クラスっていう区分は好きで、それが誰か欠けるのが嫌だった。誰かを思い出話みたいにするのが嫌だった。だから欠けるのが意嫌だったけど欠けた。10人ぐらいは欠けたかな??そう思い出すと切なかった。卒業式の後の祝賀会では先生にも感謝の言葉を述べた。実習で助けてくださった先生、担任の先生学校を辞めたいと感じたときに話を聞いてくれた先生色々な先生がいた。別の学科の人と話たり、Aさんと写真とったり話たり。あっという間の時間だった。謝恩会では生徒が先生を送るという形でまったり飲んだ。担任の先生が親しくしようと接しなかった印象があったけどクラス全員に平等に接せられるように控えてできるだけ業務的かつ機械的態度をとっていたと話して「もっと話したかった。語りたかった。」と泣きながらいってくれた。思わず今まで硬い先生だなって思っていて話していたことがひどく恥しく思えた。きっと生徒の倍以上苦悩をしたんだろうと思う。感謝。ただそれだけで表現するのが適切な気がする。いい担任でした。もっとも、これがHaL→の最後の学校であり最後の先生であるから、ずっと担任の先生であったということは変わらず感謝し続ける。そしてクラスで別れのとき。HaL→は泣きませんでした。というより、完全に思い入れができなかったから泣けなかった。*さんの恋愛のやつでからかわれたり他にも大きな事件があって以来、クラスが嫌になり積極的に関係を持とうとしなかったから。なんかどう接すればいいかわからないしまともに話せるかどうかが怖かったから。臆病なやつだなって自分でも思えるけど実際にそうだった。ただ、それでも一緒にすごした4年間は大切。救われたこともあったのも事実だから。何より救いは同じ仕事になること。みんなに学会でなら会える。まだ一時別れただけで完全な別れじゃないから。いつか、再び出会えるときはもう少し心を許せたらいいんじゃないかなと思う。